田村荘 (大和国山辺郡) 概要

田村荘 (大和国山辺郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 08:40 UTC 版)

概要

興福寺の創建者(本願主)である藤原不比等が興福寺に寄進した土地(本願施入田)から構成される同寺の一円所領であり、寺務によって管理された。延久2年(1070年)作成の『興福寺雑役免帳』によれば、当時の田村荘は雑役免系荘園官省符荘に相当し、その田数は27町8段であった。その後多少田数が増加して荘域も拡大し、室町時代応永6年(1399年)作成された「興福寺造営段米田数帳」(『春日大社文書』)によれば、30町6段半あったとされている。また、荘域の拡大にともなって寺務が管理する田村荘とは別に大乗院一乗院が所有する別の「田村荘」が生み出されるなど紆余曲折もあったが、中世を通じて一貫して興福寺の一円所領として機能した。

参考文献




「田村荘 (大和国山辺郡)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田村荘 (大和国山辺郡)」の関連用語

1
100% |||||


田村荘 (大和国山辺郡)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田村荘 (大和国山辺郡)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田村荘 (大和国山辺郡) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS