猪飼野 地理

猪飼野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 04:11 UTC 版)

地理

つるのはし跡公園
公園入口前の道路上に橋があった。
西俊徳地蔵(生野区勝山北4丁目)この辺りが旧大字猪飼野の小路集落である。ちょうど撮影者の立っている位置・左の一方通行の標識のある道路部分にかつて旧平野川が流れていた。

旧猪飼野地域は、東は旧小路村巽町の境まで、西は付け替え前の平野川の旧流域(桃谷3丁目の大半を含み、勝山北5丁目から東)が地域であった。具体的には北は近鉄線を越え、現在の千日前通のさらに少し北、玉津2丁目の一部・大今里3丁目の一部地域まで、南は現在の田島2丁目と3丁目の境辺りまでの範囲。

河川

※かつて地域北東に西ノ川が流れていたが昭和40年代に埋め立てられて消滅した。今里筋と近鉄大阪線の交差部すぐ南に猪飼野橋交差点があり、市道が南東-北西方向に斜めに交差しているが、その市道が河川の跡にひかれたもの。交差点の場所に猪飼野橋があった。

交通

鉄道
※いずれも地域からは少し離れている。
主要道路

施設・旧跡


  1. ^ 瀧川政次郎によれば猪甘部は九州にいた隼人族、安曇族が地方に散ったものであって、飼育していたのは中国の華南の豚であったとされる。瀧川政次郎「猪甘部考」(「日本歴史」第272-273号、吉川弘文館、1971)
  2. ^ a b 塚﨑昌之「前期の鶴橋署と朝鮮人−ゴム工労働者の7回のゼネスト計画をめぐる闘争を中心にして−」青丘文庫研究会月報 2011年9月1日
  3. ^ 京都仁丹樂會:仁丹町名表示板 大阪市の場合
  4. ^ 『日本紳士録 第33版』大阪ミの部335頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月5日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第32版』大阪キの部107 - 109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月6日閲覧。
  6. ^ a b 『人事興信録 第11版 下』ナ173頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月5日閲覧。
  7. ^ 岩瀬達哉『血族の王 松下幸之助とナショナルの世紀』新潮社、2011年、60-73頁。ISBN 9784104325023 





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