瀕死の探偵
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挿絵
この短編が『ストランド・マガジン』1913年12月号に掲載された際には、ウォルター・パジェットによる4枚の挿絵がつけられていた[3]。 ウォルターは、シドニー・パジェットの弟である。1891年に『シャーロック・ホームズの冒険』の連載が決まった時、『ストランド・マガジン』の挿絵担当者はウォルターに挿絵を依頼したつもりだったのだが、パジェット家には3人の画家がいたため、手違いで兄のシドニーが引き受けることになったという経緯がある[4][5]。
シドニーは『ストランド・マガジン』に連載された『冒険』『思い出』『帰還』『バスカヴィル家の犬』の挿絵を担当し、弟のウォルターをモデルにしてホームズを描いたとされている[6][4]。読者がウォルターを見かけて、ホームズがいると話題になったこともあった[5]。シドニーが1908年に死去したため、その後の『ストランド・マガジン』の連載では様々な画家が起用され、ウォルター・パジェットも「瀕死の探偵」で挿絵を描いたのだった。
『コリアーズ・ウィークリー』1913年11月22日号で挿絵を担当したのはフレデリック・ドア・スティールで[3]、スティールのホームズはウィリアム・ジレットをモデルとして描いたものである[6][5]。
研究
ドイルがホームズを創造する際、モデルにした人物として恩師のジョウゼフ・ベル博士がいる[7][8][9]。 ベルは1892年夏にドイルへ送った手紙で、物語の題材を「細菌を使用した犯罪」として執筆したらどうかと提案した。ドイルは、この題材では読者の理解が困難になると返信し、執筆することはなかった。しかし、それから約20年後の1913年になって、細菌を凶器として使用した「瀕死の探偵」が発表された。リチャード・ランセリン・グリーンやオーウェン・ダドリー・エドワーズは、ベルが1911年に死去しドイルが追悼記事を書いたときに、この提案を思い出したのだと推測している[4][3]。
カルヴァートン・スミスが象牙の小箱に仕掛けた罠に関しては、症状や進行速度などから、コブラの毒であるとするヒュー・レタンの説[2][3]、ペスト菌であるとするジョージ・B・コーエル博士の説[2]、熱帯地方の病原菌の何かである可能性が高いとするオーウェン・ダドリー・エドワーズの説などがある[3]。
作中、ホームズは瀕死状態を偽装するために、目にベラドンナをさしたと語っている。ベラドンナには瞳孔を拡張する効果があるためだが[3]、毒物でもあり極めて危険な行為である[10]。
- ^ a b ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ大百科事典』日暮雅通訳、河出書房新社、2002年、279頁
- ^ a b c d コナン・ドイル著、ベアリング=グールド解説と注『詳注版 シャーロック・ホームズ全集3』小池滋監訳、筑摩書房〈ちくま文庫〉、1997年、541-592頁
- ^ a b c d e f コナン・ドイル著、オーウェン・ダドリー・エドワーズ注・解説『シャーロック・ホームズ全集 第8巻 シャーロック・ホームズ最後の挨拶』小林司・東山あかね、高田寛訳、河出書房新社、2000年、387-406頁
- ^ a b c コナン・ドイル著、リチャード・ランセリン・グリーン注・解説『シャーロック・ホームズ全集 第3巻 シャーロック・ホームズの冒険』小林司・東山あかね、高田寛訳、河出書房新社、1998年、657-691頁
- ^ a b c ディック・ライリー、パム・マカリスター編『ミステリ・ハンドブック シャーロック・ホームズ』日暮雅通監訳、原書房、2000年、22-30頁
- ^ a b 金野英隆「さし絵の研究」『シャーロック・ホームズ大事典』小林司・東山あかね編、東京堂出版、2001年、290-291頁
- ^ ドイルは『シャーロック・ホームズの冒険』をベルに献呈している。
- ^ 笹野史隆「モデル」『シャーロック・ホームズ大事典』小林司・東山あかね編、東京堂出版、2001年、868-869頁
- ^ ディック・ライリー、パム・マカリスター編『ミステリ・ハンドブック シャーロック・ホームズ』日暮雅通監訳、原書房、2000年、91-92頁
- ^ 実吉達郎「ベラドンナ」『シャーロック・ホームズ大事典』小林司・東山あかね編、東京堂出版、2001年、746-747頁
固有名詞の分類
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