浜松球場 歴史

浜松球場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 19:30 UTC 版)

歴史

1948年、坂田啓造が浜松市長を務めていた時期に浜松市営球場(はままつしえいきゅうじょう)として開場。両翼91.5m、中堅106m。高校野球社会人野球などアマチュア公式戦の他、プロ野球公式戦も開催されたが、施設の老朽化に伴い全面改築されることとなり、1979年に改築工事が完工、同年6月に現球場が開場した。当時は両翼91m、中堅118m。2003年にはスコアボードを電光掲示板に改造し、2004年3月に球場のリニューアル工事が完成し、耐震補強工事、グラウンド拡張、選手控室・ロッカー室・観客用トイレ(内野のみ)の改良が行われた。

プロ野球では中日ドラゴンズオープン戦と公式戦を年1〜2試合、当球場で主催している。なおここ数年は後述の老朽化の影響や、コロナ禍・天候不順もあり開催が行われていなかったが、2023年8月29日にはヤクルト戦の開催が当初発表されていたものの、諸事情によりバンテリンドームナゴヤに会場変更された[1]

この他、読売ジャイアンツ(巨人)が主催公式戦を1953年から1983年まで断続的に開催し、また主催オープン戦を1993年まで毎年1試合(不定期)開催していた。

パシフィック・リーグでは1990年から1992年には日本ハムファイターズ、1995年には西武ライオンズが公式戦をそれぞれ年1試合開催した(ただし1991年の日本ハム戦は雨天中止)。

中日ドラゴンズは春季キャンプ(1977年まで)、及び秋季キャンプ(1986年まで)を浜松球場で行っていた。

2024年シーズンより活動開始するウエスタンリーグ球団「くふうハヤテベンチャーズ静岡」が、メインのちゅ〜るスタジアム静岡(清水庵原球場)の他に、当球場でも数試合開催することが発表され、初年度は6月28〜30日に中日ドラゴンズを迎えて対戦する予定となっている(当球場で主催している中日ドラゴンズが、これ以外でビジター側に回った例は不明)[2][3]

バックスクリーンがフィールド側にせり出しており、またスクリーンのすぐ後方にはを掲揚するポールが設けられている。バックスクリーン後方には外野スタンドの入場口や洗面所などが設けられているため、こうした配置となっている。

2005年からフェンス広告の掲出が開始された。スポンサー企業は静岡県遠州地方の企業を中心に、近隣の愛知県東三河地方の企業なども名を連ねる。

2021年2月、浜松市は浜松球場を解体して市内の他球場に機能を移転する方針案をまとめた(後述)[4]








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