横浜医科大学 (旧制) 校地

横浜医科大学 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 22:52 UTC 版)

校地

校舎
医専設立当初は、南区井土ヶ谷下町の横浜市立横浜商業専門学校校舎を使用した (井土ヶ谷校舎)。1944年10月、南区浦舟町の旧三吉小学校校舎に移転 (浦舟校舎)。医大学部は浦舟校舎で発足し、後身の横浜市立大学医学部も同地で発足した。市大医学部は 1987年2月、現在の金沢区福浦に移転した (現 横浜市立大学福浦キャンパス)。
医大予科は、磯子区六浦町4646 (現 金沢区瀬戸) の旧海軍第一航空技術支廠跡で発足し、同地で廃校を迎えた (六浦校舎、現 横浜市立大学金沢八景キャンパス)。同地のイチョウ並木は、予科生が植樹したものとされている (『草創のとき』 289頁。#関連書籍参照)。
附属病院
医専設立時に南区浦舟町の横浜市十全医院を附属病院とした。同病院は横浜医科大学病院となった後、新制横浜市立大学医学部発足に伴い同附属病院となり、長らく使用された。旧十全医院本館は老朽化のため 1972年までに取り壊された。1991年に福浦キャンパス隣接地に新附属病院が開設された後、浦舟の病院は改築され、2000年1月、横浜市立大学医学部附属市民総合医療センターとなった (2005年、横浜市立大学附属市民総合医療センターと改称)。

関連項目

関連書籍

  • 倶進会 『草創のとき : 横浜市立大学医学部創立史』 まつだぶっくす、1984年6月。
    • 下 2書の基本文書となっている。
  • 横浜市立大学60年史編集委員会(編) 『横浜市立大学60年史』 横浜市立大学創立60周年記念事業実行委員会、1991年7月。
  • 三杉和章 『ハマの医学校物語』 (財)横浜総合医学振興財団、2006年3月。

参考文献


  1. ^ a b c 横浜市役所市史編纂係 編『横浜市震災誌 第三冊』、横浜市、1926年、506-509ページ





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