普通教育の思想・歴史・現在 普通教育の思想・歴史・現在の概要

普通教育の思想・歴史・現在

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/30 02:01 UTC 版)

定義

  • 子ども自身に求める見地から定義するならば、普通教育とは「人間を人間として育成する社会的営み」と定義できる。
    • この見地はルソー(J.-J.Rousseau 1712~78)の教育思想に由来する。ルソーは、子どもには将来理性として結実する可能性を有する諸能力(感覚的理性)が存在しており、それらの成長・発達の内的法則を洞察し適切に指導することで、理性的判断力を有する人間を育成することができる、とした。
  • 一方、普通教育の根拠を子どもの外に求める見地からは、普通教育は一般的には「職業にかかわりなく一般共通に必要な知識を与え教養を育てる教育」(『広辞苑』第5版)と理解されている。
    • このような定義は、フランス革命期のコンドルセ(M.J.A.N.deC.Condorset 1743~94)に由来する。コンドルセは、市民を育成する目的から、成人のための普通教育および青少年のための普通教育を論じた。

普通教育思想の展開

普通教育に関する主張は、欧米において19世紀初頭から資本主義の発展の中で上記二つの定義が現実には複雑に絡まりながら展開されていった。

イギリスでは、チャーティストが「われわれは普通教育制度を熱望する」(1833年)と表明した。また、国際労働者協会やその指導者達も一貫して普通教育の制度化を要求した

  • 「国家の費用で普通教育をほどこすこと。この教育は、すべての児童にたいして平等であって、各個人が社会の自主的な成員として行動する能力をもつようになるまでつづけられる」(F.エンゲルス、1845年)
  • 「(普通)教育は義務教育であるべきだという決議を躊躇なく採択してさしつかえない」(K.マルクス、1869年)

アメリカでは、ホレース・マン(1792〜1859)が普通教育制度を提唱し、コモンスクールを設立した。

日本における普通教育の歴史

日本では、明治前期、欧米からの影響もあって、前島密や福沢諭吉などが普通教育を論じた。また、自由民権運動とも結びついて普通教育論が展開された。

学制(1872年)以降、普通教育が法制化されていった

学制は中学校の教育目的を「普通ノ学科」、小学校の教育目的を「教育ノ初級」としたが、それ以降、大学の基礎教育としての「普通学科」もしくは「高等普通教育」と民衆教育としての「普通教育」という二重構造が形づくられていく。

1879年に制定された第一次教育令は小学校の教育目的を「普通教育」と規定した。制定過程における文部省原案は「人間普通欠ク可ラサルノ学科」であった。

教育令は1880年に改正されたが、「改正」理由は「普通教育ノ衰類ヲ挽回スルコト、焦眉ノ急ニ属スル」というものであった。その際、「修身」が首位教科に位置づけられた。

教育令改正と結びついて、文部省は1881年、「小学校教員心得」が出したが、そこには「小学教員ノ良否ハ普通教育ノ弛張ニ関シ普通教育ノ弛張ハ国家ノ隆替ニ係ル」と述べられていた。

1882年、文部省は全国の学務課長等を招集した学事諮問会において「普通教育ノ修業年限ハ小中学ヲ通シテ率ネ十二年トス」などの方針を提示した。

1886年制定の中学校令は中学校の教育目的を「高等普通教育」とした。

大日本帝国憲法、教育勅語の制定を受けて1890年、小学校令が改定されたが、これまで教育目的とされていた「普通教育」は削除され、「国民教育」に換えられた。

1891年、江木千之普通学務局長は「帝国小学教育ノ本旨」と題する演説において「国民教育」を「国家の特性」に対応する教育と説明し、その教育を全国に普及するという意味において「普通教育」であると述べた。

小学校令からは「普通教育」という用語は消滅したが、中学校令などには「高等普通教育」という語句がその後も用いられていった。また、「普通教育」という語句を冠する新聞、著書等が発行されていった。

沢柳政太郎は1909年、『実際的教育学』において「教育学がその研究対象とする教育の範囲は学校教育中の普通教育に限定したい」と主張した。また、澤柳は1927(昭和2)年、「小学校教育即ち初等普通教育は国民一般の教育」とした上で、「中産階級の勢力は偉大なものであるから、之が教育の重要なことは云ふまでもない」としてその教育を「中等普通教育」と呼んでいる。

帝国教育会は1909年、『普通教育制度年表(増補改訂版)』を発行した。

1932年、大日本学術協会『日本教育行政法論』(『教育学術界』収録)は、第5章を「初等普通教育論」、第6章を「高等普通教育論」に充てている。

1941(昭和16)年に制定された国民学校令は国民学校の教育目的を「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ、国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」(第1条)とし「初等普通教育」という文言を法令用語としてはじめて用いた。

1939年、岩波書店『教育学辞典』に、石川謙・船越源一署名の「普通教育」の項目が置かれた。「意義」「分類」「教科目とその沿革」「外国における普通教育の教科目」から構成されている。そこでは、普通教育の思想の生成をコメニウス、ルソーなどの名前と結びつけながら、普通教育の定義について「一義的に説明することは困難であるが、最も重要なる基底に於て、この語は、一般陶冶の観念に関連する。人たる誰にも共通に且つ先天的に具有するものであり、又、これ有るが故に人が人たることを得る筈の本質たる所の、精神的身体的な諸機能を充分に且つ調和的に発達せしめる目的の教育を、一般陶冶と呼ぶのである。かかる意味での一般陶冶を目的とする、如何なる身分、如何なる職業に就くものにも共通に必要であるから、名づけて普通教育と唱えるのである。」と説明している。この記述は戦後、文部省の普通教育解釈に採用されている。

日本国憲法における普通教育概念

1946年に公布された日本国憲法に「普通教育」という用語が用いられた。第26条第2項は次のように定めている。

「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」

憲法に用いられている「普通教育」という用語は「憲法の指導精神」(佐藤達夫政府委員)と深く結びついたものであった。そこには、戦前の教育に対する根本的な反省、普通教育概念に関する歴史的認識、わが国の明治以降の普通教育についての歴史認識等が含意されていた。

憲法における普通教育概念の意義を総括的に言うならば、憲法の基本理念と密接に結びついていること、第26条第1項の広義の「教育」概念と区別されていること、親に限らずすべての国民がすべての子ども(理念上は幼児期から18歳まで、学校の設置者の区別なく)に対して普通教育を受けさせる義務を負っているとされていること、その普通教育(義務教育という場合の教育は普通教育)は無償であること(授業料に限定されない)、などである。




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