日本将棋連盟 沿革

日本将棋連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/09 07:04 UTC 版)

沿革

前史

1612年に初代大橋宗桂徳川家康から将棋所名人[注 1]に任ぜられたのが現在のプロ将棋界の起源である。

江戸時代には、初代宗桂が興した大橋本家、初代宗桂の子・初代大橋宗与が興した大橋分家、初代宗桂の孫娘の婿・初代伊藤宗看が興した伊藤家の家元三家の中から棋力の秀でた者が名人位を襲い、江戸幕府の権威を背景に将棋界を牽引してきた。

しかし、1868年に江戸幕府が崩壊すると、家元三家は後ろ盾を失い、将棋界も混乱に陥る。1879年に伊藤家の八代伊藤宗印が将棋所を復興して名人を襲位するも、1893年に死去して伊藤家は断絶。それ以前の1881年には大橋分家の九代大橋宗与が投獄の末獄死して断絶しており、家元は大橋本家を残すのみとなった。大橋本家の十二代大橋宗金は棋力に乏しく、結局1898年に大橋本家の門人であった小野五平が名人となり、家元制の時代は終わりを告げた。

前身団体の結成から棋界統一まで

家元の権威が失われたことにより、この後、棋界は様々な将棋団体が乱立して、離合集散を繰り返すようになる。小野の次代の名人候補と目されていた実力者は、八代伊藤宗印門下の関根金次郎、大阪の小林東伯斎(元は大橋分家の門人で後に大橋本家・天野宗歩の弟子)門下で東京で活動していた井上義雄、同じく小林門下で関西で活動していた阪田三吉(当時は坂田三吉)の3名であった。これら3名とその弟子たちによって現在の日本将棋連盟の原型となる将棋団体が結成されることになる。

東京将棋連盟が創立した1924年9月8日を日本将棋連盟では創立記念日と定めている[4]。この日付にしたがって日本将棋連盟は1999年に創立75周年、2005年に創立81周年、2014年に創立90周年を祝っている[5]

時系列で整理すると以下のようになる。

  • 1909年8月8日 - 東京で活動していた関根派と井上派とが合同して「将棋同盟会」を結成。
  • 1909年10月3日 - 「将棋同盟会」が「将棋同盟社」に改称。
  • 1910年1月 - 井上派が「将棋同盟社」を脱退して「将棋同志会」を結成。
  • 1910年10月 - 大阪で活動していた阪田派が「関西将棋研究会」を結成。
  • 1912年 - 井上派から門下の大崎熊雄(元は関根門下)と谷頭喜祐らのグループが分裂。大崎・谷頭派が「将棋同志会」を脱退して「東京将棋社」を結成。
  • 1916年ごろ - 「東京将棋社」が「東京将棋研究会」となる。
  • 1917年 - 関根派から門下の土居市太郎らのグループが分裂。「将棋同盟社」は土居派のものとなり、関根派は「将棋同盟社」を脱退して「東京将棋倶楽部」を結成[注 2]
  • 1919年ごろ - 関根門下の木見金治郎が「東京将棋倶楽部」を脱退して関西に移り、後に「棋正会」を結成[注 3]
  • 1920年 - 井上が死去。「将棋同志会」は自然消滅して所属棋士は他派に合流する。
  • 1921年ごろ - 谷頭が死去。「東京将棋研究会」は大崎派のものとなる。
  • 1921年 - 名人の小野五平が死去。これを受け、土居、大崎、阪田ら各派の同意のもとに関根が名人襲位[注 4]
  • 1923年 - 関東大震災をきっかけに東京将棋界統一の機運が高まる。
  • 1924年9月8日 - 関根派の「東京将棋倶楽部」、土居派の「将棋同盟社」、大崎派の「東京将棋研究会」が合併。東京の将棋界が統一される。関根が名誉会長、土居が会長となり、「東京将棋連盟」が結成される。
  • 1925年 - 「関西将棋研究会」の阪田が関西名人を名乗り、「東京将棋連盟」から追放される。以後、東京系の棋戦に参加できなくなる。
  • 1927年 - 関西で活動していた木見派の「棋正会」が「東京将棋連盟」に合流。東京のみの団体ではなくなったことから「日本将棋連盟」に改称。
  • 1932年 - 阪田派から門下の神田辰之助(元は木見門下)らのグループが分裂。神田派は「関西将棋研究会」を脱退して「十一日会」を結成。阪田派は実質的に阪田一人となる[注 5]
  • 1935年 - 関根が実力名人制の導入を発表。初代実力制名人を八段の棋士によって争うことが決まる。
  • 1935年 - 「十一日会」の神田が八段昇段をかけて「日本将棋連盟」のトップ棋士たちと対局。好成績を残すも八段昇段が認められなかった。
  • 1935年11月 - 神田の八段昇段(名人戦参加権)を支持する花田長太郎(関根門下)や金子金五郎(土居門下)らの一派が日本将棋連盟を脱退。神田の「十一日会」と合流して「日本将棋革新協会」を結成。騒動の責任を取って「日本将棋連盟」の幹部は総辞職し、会長不在となる(神田事件)。
  • 1936年 - 八代伊藤宗印門下(関根の兄弟子)で実業家・政治家に転身していた小菅剣之助の仲裁により、神田の名人戦参加を認めることで両者は和解。「日本将棋連盟」と「日本将棋革新協会」が合併して「将棋大成会」となる。会長は関根。
  • 1937年2月 - 関根門下で元会長の金易二郎の仲介により、阪田三吉の「将棋大成会」への参加が認められる。これにより、家元制崩壊以降分裂していた棋界は完全に統一される。

棋界統一後

  • 1937年 - 第1期名人戦が終了し木村義雄が実力制の最初の名人に決定。
  • 1938年 - 木村が名人の座に就き、将棋大成会の会長にもなる。
  • 1947年 - 名称を日本将棋連盟として、会長に木村義雄が就任。
  • 1949年7月29日 - 社団法人となる。
  • 1975年 - 女流棋士の初の棋戦・第1期女流名人位戦が行われ、蛸島彰子が初代女流名人となる。
  • 1987年 - 第1期竜王戦が始まる。
  • 1989年 - 下部組織として女流棋士会が発足。
  • 1999年 第一回国際将棋フォーラムを主催。これより三年に一度の開催。
  • 2005年 - 将棋界で俗に言われる「盤寿」にあたる創立81周年を迎え、記念のイベントなどを開催。
  • 2007年 - 女流棋士の一部が「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」として分離・独立。
  • 2008年5月 - 「将棋世界」誌6月号において、米長邦雄会長(当時)が、「公益法人制度改革[注 6]に伴い、「公益社団法人」の許可を目指すため、改革の必要があることを表明。
  • 2009年3月30日 - 刊行物の制作・販売を同4月から毎日コミュニケーションズ(現:マイナビ)に委託すると発表。ただし、「将棋世界」誌と「将棋年鑑」は従来どおり将棋連盟が編集・発行を行い、販売のみ毎日コミュニケーションズで行う[6]
  • 2009年4月1日 - 女流棋士も含む新たな「棋士会」が発足。初代会長は谷川浩司。女流棋士会は存続(ただし、女流棋士会独自の役員制度は廃止)。
  • 2010年8月23日 - 奨励会入会試験に、中華人民共和国上海在住の張鑫(ツァンシン)が6級に合格し、外国人初の奨励会員となる[7]
  • 2010年11月12日 - 臨時総会において女流四段以上およびタイトル経験のある女流棋士を正会員とすることを決議[8]
  • 2011年3月4日 - 公益認定等委員会が、日本将棋連盟の公益社団法人への移行認定を答申[9]
  • 2011年4月1日 - 公益社団法人となる[10]

注釈

  1. ^ ただし、当時は「将棋所」や「名人」という言葉はなく、その後のそれらに相当する地位に就いたという意味である。
  2. ^ 師匠の関根が阪田に敗れた一方で弟子の土居が阪田に勝利したことから、土居の発言権が強まり、これに反発したためと言われる。
  3. ^ 家業を継ぐために関根の元を離れて関西に帰ったものの商売が上手く行かず、関西で将棋を再開したようである。
  4. ^ 土居や大崎は関根と比べて次の世代の棋士であり、関根と争う関係にはなかった。また、阪田は関根の弟子である土居に敗れていたため、関根の名人襲位を承諾せざるを得なかった。また、もう一人の候補であった井上は前年に死去していた。
  5. ^ 阪田はそれまで大阪朝日新聞の嘱託であったが、報酬で揉めて契約が解除された。代わって阪田門下の神田が嘱託となったことにより、阪田派の棋士たちは神田を盟主とした。
  6. ^ 2008年12月から5年間の移行期間を経て、すべての社団法人が「公益社団法人」か「一般社団法人」のいずれかに分かれることになる。
  7. ^ 2017年5月 - 2021年6月まで非常勤理事。また棋士ではない人物が常務理事以上の職位に就いたのは初。
  8. ^ 2019年6月7日の選出当時は専務取締役。その後代表取締役社長を経て現職。
  9. ^ 2021年4月1日、フリークラス規定により九段昇段。
  10. ^ 2019年6月7日の選出当時は専務取締役。ただしこの時点で社長就任が内定していた。
  11. ^ a b 将棋ソフト不正使用疑惑に伴う引責辞任。
  12. ^ a b c 将棋ソフト不正使用疑惑に伴う解任決議による解任。
  13. ^ 戦後に日本将棋連盟が発足して以来、大山は唯一の会長兼タイトルホルダーで、王将を3期連覇していた(第29期王将戦第30期王将戦第31期王将戦)。
  14. ^ 将棋会館や関西将棋会館に存在する対局室が東海地区には無かったが、2022年6月22日、JR名古屋駅に隣接するミッドランドスクエアの25階に名古屋将棋対局場が開設された。詳しくは将棋会館を参照。

出典

  1. ^ a b 『老舗寝具メーカー昭和西川が日本将棋連盟とタッグを組み(業務提携)、棋士へのサポートとコラボ商品の共同開発を順次発表』(プレスリリース)PR TIMES、2018年4月4日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000031377.html2021年3月17日閲覧 
  2. ^ 『日本将棋連盟推薦、角川Oneテーマ21全面協力! 『羽生善治 将棋で鍛える「決断力」DS』 ビジネスや勉強に役立つ「決断力」を鍛えよう!〜3月12日発売開始〜』(プレスリリース)PR TIMES、2019年1月22日https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000000428.html2021年3月17日閲覧 
  3. ^ 一般社団法人日本eスポーツ連合 加盟のお知らせ”. 4Gamer.net. aetas (2020年10月16日). 2021年3月17日閲覧。
  4. ^ 『日本将棋の歴史(8)東京将棋連盟の結成』日本将棋連盟https://www.shogi.or.jp/history/story/index08.html 
  5. ^ 『将棋連盟について 創立・沿革』日本将棋連盟https://www.shogi.or.jp/about/history.html 
  6. ^ 日本将棋連盟の刊行物を制作・販売
  7. ^ “奨励会の例会 張さんが参加 海外から初”. 朝日新聞. (2011年3月10日). http://www.asahi.com/shougi/topics/TKY201103100208.html 2018年2月17日閲覧。 
  8. ^ a b 臨時総会について - 日本将棋連盟・ 2010年11月12日
  9. ^ 公益法人information
  10. ^ 公益社団法人日本将棋連盟としてスタート - 日本将棋連盟・2011年4月1日
  11. ^ 情報公開|将棋連盟について|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年4月29日閲覧。
  12. ^ a b c 日本将棋連盟新役員のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年6月8日閲覧。
  13. ^ 藤井ブームに沸く将棋界と経済界の「意外な接点」 - 東洋経済ONLINE・2022年7月18日
  14. ^ [1]
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  37. ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年6月8日閲覧。
  38. ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2015年06月04日
  39. ^ a b 新棋士会発足について - 日本将棋連盟・2009年4月6日
  40. ^ a b 「棋士会」役員変更のお知らせ - 日本将棋連盟・2011年4月4日
  41. ^ 棋士会役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2015年6月4日
  42. ^ 佐藤康光棋士会会長の辞任に関するお知らせ - 日本将棋連盟・2017年2月1日
  43. ^ 日本将棋連盟棋士会長に中村修九段が就任 - 日本将棋連盟・2017年2月27日
  44. ^ 棋士会役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2017年5月31日
  45. ^ 棋士会役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2019年6月11日
  46. ^ 将棋年鑑 - 日本将棋連盟
  47. ^ 武市三郎七段のゲッツー。石田直裕四段のタイムリーヒット。将棋連盟野球部「キングス」を紹介
  48. ^ 将棋連盟野球部事始め
  49. ^ すべてはファンのため。書道に打ち込むプロ棋士の姿。将棋連盟書道部に潜入
  50. ^ 書道部
  51. ^ 佐藤天彦名人の華麗なドリブル、渡辺明竜王のシュート!将棋連盟フットサル部を紹介
  52. ^ フットサル。
  53. ^ 中原誠十六世名人も参加、将棋連盟囲碁部の活動に潜入
  54. ^ 一昨日の木曜、連盟囲碁部なるものに初めて参加を。
  55. ^ 段級位取得の方法
  56. ^ 将棋ウォーズ
  57. ^ http://bug.org/ML/shogi/onegai.txt
  58. ^ a b “厳しすぎる王将戦「棋譜利用ガイドライン」、ファンのつぶやき萎縮、将棋普及に悪影響か”. 弁護士ドットニュース (Yahoo! JAPAN). (2020年12月16日). https://www.bengo4.com/c_18/n_12177/ 2021年1月27日閲覧。 
  59. ^ [棋譜利用に関する公開質問状への回答 https://www.shogi.or.jp/news/2020/04/post_1908.html]
  60. ^ 弁護士ドットコム (2021年1月9日). “将棋ファンにとって悪手か…厳しすぎる「王将戦」ガイドラインに見え隠れする「新聞社」の危機感”. 弁護士ドットコム (Yahoo! JAPAN). https://www.bengo4.com/c_18/n_12308/ 2021年1月10日閲覧。 
  61. ^ “「棋譜」に著作権はある? 「無断中継」なぜNG? 朝日新聞に聞いた”. ITmedia NEWS (アイティメディア). (2017年6月22日). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1706/22/news113.html 2021年1月27日閲覧。 
  62. ^ “将棋「YouTube実況」めぐり議論 個人の「棋譜中継」は権利侵害になる?”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2017年6月25日). https://www.j-cast.com/2017/06/25301298.html 2020年1月27日閲覧。 






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