日本体育大学バスケットボール部 歴史

日本体育大学バスケットボール部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/24 08:46 UTC 版)

歴史

明治24年日本體育会が起源、明治26年体操練習所、日本体育会体操学校、日本体育専門学校、日本体育大学と変遷。

1926年(大正15年)創部。

教員養成(スポーツ科学・児童スポーツ教育・保健医療)系で多くの体育指導者(体育教師・実業団監督・コーチ等)・日本代表選手(オリンピック大会・世界選手権大会代表選手)・bjリーグ選手等を輩出している。卒業後、学校の教員(監督・部長・コーチ等)になりチーム(学校)を全国総体・ウィンターカップ(全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会全国中学校バスケットボール大会に導く指導者も多い。チームスローガンは「PLAY HARD」である。注-PLAY HARDの本来の英語訳は、自分の楽しいと感じたことを楽しみながら全力で夢中になることである。

1969年(昭和44年)に全日本学生選手権初優勝を決め、以来2011年現在史上最多の14度インカレ優勝(4連勝を含む)を果たしている。なお女子チーム日体大フェニックスも2011年現在で最多優勝校であり19回優勝(5連勝を含む)している。アニメ「SLAM DUNK」の登場人物である湘北高校バスケ部主将赤木剛憲をスカウトにきた大学バスケットボール界の名門深沢体育大学は日体大ライオンズ旧愛称グリズリーがモデル校と云われている。

また、筑波大学との定期戦(交流戦)は大学バスケットボール界における伝統の一戦「通称日筑(にっつく)戦・NITTUKU BASKETBALL FESTIVAL」として行われている。新春の4月または5月に代々木体育館で実施され両大学新チーム初のメンバー(公式メンバー)が出揃う。ユニフォームは体育大の旧漢字(體育大)横文字を使用している。




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