慈眼寺 (世田谷区) 歴史

慈眼寺 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:54 UTC 版)

歴史

  • 1306年(徳治元年) - 法印定音が開山[2]
  • 1533年(天文2年) - 長崎四郎左衛門が開基となり、崖上の現在地に堂宇を遷す[2][注釈 1]
  • 1975年(昭和50年) - 現本堂を建立[4]

境内

広さ500坪の境内には1975年(昭和50年)建立の本堂がある[4]。また、樹高13メートルのタラヨウは、世田谷区名木100選に選ばれている[5]。小説家甲賀三郎の墓がある[2]

文化財

  • 大日如来坐像
  • 弘法大師坐像
  • 興教大師坐像

これらの仏像はともに江戸時代に製作されたものである[6]

交通アクセス

  • 鉄道
    • 東急田園都市線・東急大井町線 二子玉川駅下車 徒歩16分
    • 東急田園都市線 用賀駅下車 徒歩14分
  • バス
    • 東急バス [玉31]生育医療研究センター行 玉川病院バス停下車 徒歩5分

ギャラリー

参考文献

  • 世田谷区区長室広報課『せたがやの散歩道 続』1982年 pp.48-pp.49
  • 「瀬田村 慈眼寺」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ49荏原郡ノ11巻内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763982/17 

外部リンク


注釈

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』は崖上に移った時期は不詳としている[1]

出典

  1. ^ a b c d e f 新編武蔵風土記稿 瀬田村.
  2. ^ a b c d 東京都世田谷区教育委員会 編 『せたがや社寺と史跡 その1~3』東京都世田谷区教育委員会、1970年、19-20頁。 
  3. ^ 大法輪閣編集部 編 『全国霊場巡拝事典』大法輪閣、2005年、231頁。ISBN 4804612165 
  4. ^ a b 新田明江 『多摩川遍路』、1989年、92頁。 
  5. ^ 世田谷区生活環境部みどりの課 『世田谷区名木100選』、1988年、88頁。 
  6. ^ 東京都世田谷区教育委員会 編 『世田谷区社寺史料 第一集 彫刻編』、192-195頁。 


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