延辺科学技術大学 学術交流協定

延辺科学技術大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 09:00 UTC 版)

学術交流協定

  • 1993年10月20日 延世大学と学術交流協定を締結。
  • 1994年4月18日 崇実大学と学術交流協定を締結。
  • 1994年9月22日 漢陽大学と学術交流協定を締結。
  • 1995年2月22日 浦項工科大学と学術交流協定を締結。
  • 1995年5月8日 アメリカのLiberty Universityと学術交流協定を締結。
  • 1995年11月11日 中国科学技術大学と学術交流協定を締結。
  • 1995年12月1日 中央民族大学と学術交流協定を締結。
  • 1996年3月28日 ドイツのTechnische Fachhochschule Berlinと学術交流協定を締結。
  • 1996年5月11日 KAISTと学術交流協定を締結。
  • 1996年8月8日 大阪情報コンピューター専門学校と学術交流協定を締結。
  • 1996年10月9日 雲南大学と学術交流協定を締結。
  • 1996年11月1日 中国の西南大学と学術交流協定を締結。
  • 1996年11月17日 韓国のハンドン大学と学術交流協定を締結。
  • 2016年10月 延辺科学技術大学の最高経営課程と済州大学校経営大学院が学術交流協定を締結。[5]

創立者

創立者の金鎮慶(1935年~、キム・ジンギョン、김진경)総長は慶尚南道宜寧郡に生まれの韓国系米国人。

15歳の時、志願兵として朝鮮戦争に参戦、英国と米国で神学を学び、企業家、教育者として成功する。 

1987年、金日成主席の招待で初めて平壌を訪問、「あなたは朝鮮民族なのに、なぜ中国に大学を建設するのか」と金日成に尋ねられ、その場で平壌に大学を設立することを確約する。 [6]

1994年には平壌・大同江のほとりに病院を建設。

1998年、北朝鮮訪問時に逮捕され、「自由化の風を吹き込んだ」「中国式改革開放に誘導した」「キリスト教を伝播した」などの罪で死刑判決を受けた。その後、突然釈放され10月24日 、43日ぶりに北京に戻った。

(延辺科学技術大学を創立した)第2の理由は北朝鮮への足がかりを得たかったことです。北朝鮮の人々を助け、彼らに様々なものをもたらすためです。私が北朝鮮に入ることは不可能でした。そこで、北朝鮮との国境近くに大学をつくったのです。ですから私たちの大学は中国のためだけでなく、北朝鮮のためでもあるのです。(中略)中国社会科学院が市場開放システムと韓国の経済発展について講義するために私を招いてくれました。これが、私が中国を訪れるきっかけとなりました。中国を訪れたとき、私が自分自身の大学を設立できるとは思ってもいませんでした。しかし中国を訪れて、残酷な共産主義システムを変えるには若者を教育するしかないことに気づいたのです。(中略)光を見たのです。共産主義国家が私に扉を開く様が見えたのです。そこで私は仕事やプールつきの邸宅などをすべて売り払いました。幸い、妻は私のやることに同意してくれました。売ったお金で延辺に大学をつくることができました。教育、すなわち若者に投資するということは、もっとも素晴らしいビジネスです。(中略)彼らは正しいことも過ちも分かりません。私は彼らに同情し、彼らへの愛を示したい。たとえ私を捕え、打つことがあっても、彼らを憎みはしません。汝の隣人のように愛せ、と聖書は言っています。北朝鮮は精神的にも肉体的にも病人だと考えるべきです。合理的な行動は期待できません。最近北朝鮮は、日本が経済制裁で何らかの措置をすればそれを戦争の宣言とみなすと言明し、日本を脅そうとしています。日本は北朝鮮の兄のような存在で、北朝鮮にないものをすべて持っています。私たちは不幸な人たちを助けなければなりません。しかしこれは私の哲学であり、日本人に押し付けるつもりはありません。 — 「キーパソンインタビュー 統一を見据え、平壌科学技術大学を設立します 延辺科学技術大学総長 金鎮慶氏に聞く」(『Erina report』 環日本海経済研究所 2005年3月 )

起亜技術訓練院院長の暗殺事件

1996年8月16日、附属の教育機関、起亜技術訓練院の院長、朴炳鉉(54歳)が2人組みの暴漢に襲われ、毒針状のもので腹部を刺され暗殺された。朴院長と一緒に歩いていた「大邱毎日新聞」の記者3人が目撃。韓国大使館の捜査依頼を受けた中国公安当局が解剖検査を実施したが毒劇物は検出されず。中国から遺体を引きとった韓国の国立科学捜査研究所が再解剖検査をしたが、臓器全体が中国ですでに除去されており、防腐処理された状態だったため、正確な死因を究明することはできなかった。[7]



  1. ^ [ルポ韓民族ネットワークの役割「延辺科技大」···もう廃墟に]”. 2023年12月28日閲覧。
  2. ^ 연변 과기대와 중국의 체제”. The Korea Times Los Angeles. 2019年11月9日閲覧。
  3. ^ 세계한인회장대회 운영위원, 연변한국국제학교 방문”. 월드코리안뉴스. 2019年11月9日閲覧。
  4. ^ ‘한중협력’ 상징 中 옌볜과기대는 왜 사라졌나”. 문화일보. 2023年4月13日閲覧。
  5. ^ 済州大経営大学院と中・延辺科学技術大最高経営者課程が学術交流協定.ヘッドライン済州. 2016.10.05.(韓国語)
  6. ^ 船橋洋一(著)「青い海をもとめて―東アジア海洋文明紀行」 朝日新聞社、2005年
  7. ^ 중국 연길에서 16일 기아자동차 박병현씨 독침 피살”. KBS. 2019年10月14日閲覧。


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