庄内沖地震 庄内沖地震の概要

庄内沖地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 13:32 UTC 版)

庄内沖地震
庄内沖地震の震度分布
本震
発生日 1833年12月7日
天保4年10月26日
震央 北緯38度54分 東経139度15分 / 北緯38.9度 東経139.25度 / 38.9; 139.25座標: 北緯38度54分 東経139度15分 / 北緯38.9度 東経139.25度 / 38.9; 139.25[1]
規模    M712[1]
被害
被害地域 羽前・羽後・越後・佐渡[1]
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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出羽国沖地震(でわのくにおきじしん)、庄内地震(しょうないじしん)、あるいは羽前沖地震(うぜんおきじしん)とも呼ばれる。

概要

庄内地方で壊家475戸、津波による溺死者 38人。能登半島の輪島で溺死者 47人。宇佐見による調査で震度6の揺れが推定された場所は新潟県から山形県にまたがる長さ80kmの地域、震度5は新潟から秋田に至る約250km 最上川沿いの山形盆地まで、震度4は津軽・北海道松前から能登半島まで及んだ。

津波

津波遡上距離の違いから1964年新潟地震よりも大きな津波が発生したと考えられ[3]、津波高は波源に近い湯野浜から府屋間で5 - 6m、局地的に7 - 8m。新潟県の角田浜・五ヶ浜では地盤高5m以上の砂浜に遡上、佐渡の岩谷口も6.4m、波源から遠い輪島でも津波高は5.3mと考えられている。新川河口では、2.5km 程遡上し[3]被害を生じたが[3]、阿賀野川等での遡上到達点は未解明である[3]

震源域は1964年新潟地震に重なるとの見方もあるが、新潟地震の震源域の北側で発生した地震とも考えられ、1983年日本海中部地震の発生以降注目され積極的な調査が行われた。

規模

河角廣(1951)は規模MK = 5. を与え[4]、マグニチュードは M 7.4に換算されている。宇津(2001)は M 7.7[5]、宇佐美(2003)は M 7 1/2±1/4と推定している[6]

大長(1989)は湯野浜28km沖に震央を仮定して M 7.8とし[7]、相田(1989)は津波の数値実験による断層モデルから、地震モーメントを1.26×1021 N・m (Mw = 8.0)と推定している[8]




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