姫路市交通局モノレール線
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使用車両
開業時に片運転台式の100形101・102、両運転台式の200形201・202の計4両が川崎航空機岐阜工場で製造された。これらは同じロッキード式の小田急500形電車が観光路線向けの「標準I型」と呼ばれたのに対して、より大型の「標準II型」と呼ばれていた[7]。他に内燃式の軌道点検車が1両あった。
アルミニウム合金製の部材を沈頭鋲で組み立てるという、完全に航空機の流儀で設計された軽量セミモノコック構造の流線型車体で、全長15m、全幅2.9m、自重は100形が18t、200形が18.4t。車体前面は曲面ガラスと貫通扉を組み合わせ、100形の連結面と200形には貫通幌が装着された。窓配置は100形がd1D4D11(d;乗務員扉、D:客用扉、D隣接の1枚窓は戸袋窓で幅が約半分、それ以外は約1.5m幅の広窓を採用した)、200形がd1D4D1dである。車内は窓配置に合わせた固定式クロスシートのみという、当時としては贅沢な設計であった。側窓は、常用で約11センチ、非常で約35センチ下降させることができた。天井にはファンデリアが設置され、常時稼働で強制換気を実施した。モノレール特有の非常脱出装備として円筒形の脱出シュートが各車両に備え付けられ、非常時には扉外側につり下げられることになっていた。
電装品は明電舎製の端子電圧300Vの75kW級主電動機を4基搭載、直角カルダン駆動により各台車の各車輪を個別に駆動し、4.0km/h/sという高加速性能を実現した。
台車は川崎車両が製作した、ダイアフラム式空気バネとトーションバーを組み合わせた特徴的な構造の2軸ボギー式で、610mm径の弾性車輪を採用、タイヤのフラット発生が直接乗り心地に悪影響をおよぼすため、自動車によく見られたドラムブレーキが採用された。ブレーキシステムは三菱電機製HSC電磁直通ブレーキで回路構成の簡略化のためか発電制動はなく、減速度は4.0km/h/sである。車輪径が610mmと小型であるため、コンパクトかつ低い車高で完全にフラットな床面構造を実現していた。
姫路博期間中は3両編成で運行されていた。姫路博終了後は200系の単行でも十分な程度の乗客しかいなかったが、万一の故障に備えて2両編成で運行されていた[12]。
注釈
出典
- ^ “【兵庫県】姫路市交通局 モノレール線|時代”. NHKアーカイブス. 日本放送協会. 2024年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月26日閲覧。
- ^ “【今日は何の日?】姫路モノレールが開業”. 乗りものニュース. メディア・ヴァーグ (2021年5月17日). 2024年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月26日閲覧。
- ^ “姫路モノレール:トップページ”. 姫路市. 2023年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月26日閲覧。
- ^ 運輸省鉄道監督局(監修)『私鉄要覧 昭和48年度版』電気車研究会(鉄道図書刊行会)、p.112。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』1970年4月、31頁。
- ^ 藤井p.36
- ^ a b c d 佐藤pp.39 - 41
- ^ 藤井p.35
- ^ 「完成間近いモノレール 四月三日開通へ」『神戸新聞』1966年1月5日姫路版p.10。
- ^ 「モノレール開通は5月に」『神戸新聞』1966年3月29日姫路版p.12。
- ^ 岡田p.90
- ^ a b c 藤井p.37
- ^ 山陽電気鉄道(編)『山陽電気鉄道百年史』、p.367
- ^ 「【ふるさと原風景】胸躍った「姫路モノレール」跡」『産経新聞』2005年9月17日大阪朝刊27頁
- ^ 『姫路市史』p.377
- ^ 『姫路市史』pp.383-384
- ^ 「モノレール休止にご理解を」『広報ひめじ』昭和47年11月増刊 No.475号 - ウェイバックマシン(2015年9月23日アーカイブ分)。
- ^ a b c 「廃止のモノレール送電線 老朽化!ドスン」『神戸新聞』1983年10月14日姫路版p.23。
- ^ 「勝手に関西世界遺産 姫路モノレール」『朝日新聞』2004年12月2日大阪夕刊3頁。
- ^ 「姫路モノレールがサヨナラ運転」『神戸新聞』1974年4月11日姫路版p.10
- ^ “姫路モノレールが土木学会選奨土木遺産に認定されました”. 姫路市 (2020年9月30日). 2020年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月5日閲覧。
- ^ “土木遺産に姫路モノレール遺構群 旧手柄山駅舎や車両など”. 産経ニュース. (2020年10月3日)
- ^ 交通協力会『交通年鑑』昭和43年度版 - 昭和49年度版、「民営鉄道事業者別成績表」。乗車人員・旅客運賃収入は姫路市財政局管財課所蔵資料を基に補った。
- ^ “「姫路モノレール」を公開。”. 鉄道ホビダス. 編集長敬白. ネコ・パブリッシング (2009年11月18日). 2012年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月1日閲覧。
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- ^ “姫路モノレールの廃駅「大将軍」、最後の一般公開…老朽化で解体へ”. イード. (2016年8月13日)
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- ^ 横山忠雄 編『ふるさと城南ものがたり』城南地区連合自治会、姫路、1983年、119頁。
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- ^ “35年ぶり 姫路モノレール公開に1万2千人”. 神戸新聞. (2009年11月16日). オリジナルの2013年8月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “28年眠り“姫” 姫路モノレール”. 神戸新聞. (2007年3月21日). オリジナルの2012年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会 鉄道図書刊行会、2008年5月。
- ^ a b 手柄山交流ステーションのオープンについて
- ^ 手柄山交流ステーション
- ^ “「手柄山交流ステーション」がオープン”. 鉄道ファン. railf.jp 鉄道ニュース. 交友社 (2011年4月30日). 2021年4月1日閲覧。
- ^ “「大将軍駅」が語る「短命モノレール」の大構想”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. p. 3 (2016年9月20日). 2021年4月1日閲覧。
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