坂東三津五郎 (2代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 04:34 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動来歴
上方の生まれで、初め初代尾上紋太郎の門下で尾上藤蔵と名乗り、京都四条の大芝居で子役として評判を得、宮地芝居や子供芝居で立者となる。その後初代尾上紋三郎を襲名。
天明元年(1781年)江戸に下り、初代坂東三津五郎の門人となるが、翌年に師が死去、その一子初代坂東巳之助に三津五郎襲名の話がもちあがったが、何ぶんまだ幼年だったことから、紋三郎が中継ぎとして天明5年に二代目三津五郎を襲名した。寛政11年(1799年)に巳之助改メ初代坂東蓑助に「三津五郎」の名跡を返上してこれを三代目とすると、自らは二代目荻野伊三郎を襲名。ここから本当の活躍がはじまり、和事、実事、所作事いずれをもこなす大看板となる。享和3年(1803年)には河原崎座で初の座頭を勤めたが、文政9年(1826年)9月以降の番付にはその名が見えなくなる。享年80。当時においては長命の数え80の大往生だった。
主な当たり役は『義経千本桜』の狐忠信、『菅原伝授手習鑑』の判官代輝国など。子に三代目荻野伊三郎がいる。
参考文献
- 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年
関連項目
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- 2 坂東三津五郎 (2代目)の概要
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