南郷茂章
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参考文献
- 赤松貞明 『日本撃墜王 (今日の話題 TODAY'S TOPIX)』 今日の話題社、東京, 日本、1954年11月。
- 横山保 『あゝ零戦一代』 光人社NF文庫、東京, 日本、1978年。ISBN 4-7698-2040-2。
- 零戦搭乗員会 『海軍戦闘機隊史』 原書房、東京, 日本、1987年。ISBN 4-562-01842-9。
- 柴田武雄 「必墜"旋転戦法"事始め」『雑誌 丸, 3月特大号, 零戦時代』 潮書房、東京, 日本、1981年3月。
- 秦 郁彦, 伊沢 保穂『日本海軍戦闘機隊〈2〉エース列伝』大日本絵画、2011年。ISBN 978-4-499-23045-2。
- NHK 「真珠湾への道(山本五十六)-前編」、『そのとき歴史が動いた』
- 読売新聞社編輯局 編「国立国会図書館デジタルコレクション 嗚呼!海軍の至寶・南郷大尉」『支那事変実記.第12輯 大東亜戦史前編』読売新聞社、1942年 。
関連項目
- ^ a b 支那事変実記12輯コマ85(原本160-161頁)『南郷茂章大尉(三二)は、青山青南小學校、學習院中等科を經て、海軍兵學校第五十五期生、昨秋南支空の戰線に従軍以來、南京を始め敵空軍基地を空襲すること數十回、海空軍の荒鷲の中でも岡村基春少佐、源田少佐、野村大尉と共に四天王と呼ばれる至寶の名パイロット、赫々たる武勲の數々を殘してゐるが、中でも昨秋十一月、安慶に最初の遠距離空襲を敢行、敵機と壯烈な空中戰を演じ、タンクのパイプを破壊されながら、左手に操縦桿を握り、右手にパイプを押さへての放れ業で、奇蹟的に生還し、同十二月二日、南京城外大校飛行場の上空で、イ十六型追撃機三十數機の大編隊の眞只中に麾下六機と共に敢然突入、果敢なる大空中戰を展開し十三機を瞬く間に撃墜、ソ聯が世界に誇る新鋭機を最初に射落した海の荒鷲としての榮譽に輝いた。また、去る三日の安慶の大會戰には、小癪にも安慶に來襲した敵機四機の中三機を撃墜、落下傘で飛び出した敵搭乗員の落下傘の紐を機の翼端に引つかけたが、紐が切れて敵搭乗者は墜落、已むなく落下傘を敵の首級代りに持ちかへつたことも、今は同大尉の勇猛の語り草になつたのである。』
- ^ 加藤武雄「国立国会図書館デジタルコレクション 南郷茂章少佐」『愛国物語』新潮社〈新日本少年少女文庫 第3編〉、1941年、218頁 。
- ^ 『太平洋戦争実戦ノート トラトラトラ』
- ^ a b c d e 秦,伊沢 2011, p. 112.
- ^ 秦,伊沢 2011, p. 168.
- ^ a b 横山保『あゝ零戦一代』
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室『中国方面海軍作戦(2)昭和十三年四月以降』朝雲新聞社〈戦史叢書79〉、1975年、71頁。
- ^ “Оружие смелых (часть 2)”. КРАСНЫЕ СОКОЛЫ. СОВЕТСКИЕ ЛЁТЧИКИ 1936-1953. 2019年7月6日閲覧。
- ^ “15空機密第32号の4 7月18日南昌空襲戦闘詳報 第15航空隊”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14120372900、漢口攻略作戦 第15航空隊戦斗概報 等 昭和13(防衛省防衛研究所). 2019年7月6日閲覧。
- ^ Raymond Cheung (2015). Aces of the Republic of China Air Force. Osprey Publishing. pp. 32. ISBN 978-1-4728-0561-4
- ^ 支那事変実記12輯コマ84-85(原本159-160頁)『寫眞は南郷大尉』
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