中村福助 (成駒屋5代目) 中村福助 (成駒屋5代目)の概要

中村福助 (成駒屋5代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/05 09:19 UTC 版)

なりこまや ごだいめ なかむら ふくすけ
成駒屋五代目 中村福助

屋号 成駒屋
定紋 祇園守 
生年月日 1900年5月10日
没年月日 (1933-08-11) 1933年8月11日(33歳没)
本名 中村慶次
襲名歴 1. 二代目中村兒太郎
2. 五代目中村福助
俳名 梅莟、啾雨
出身地 東京府東京市
京橋区築地
五代目中村歌右衛門
兄弟 六代目中村歌右衛門
七代目中村芝翫
当たり役
京鹿子娘道成寺』の白拍子花子
『鏡獅子』の女小姓弥生
妹背山婦女庭訓』の雛鳥

人物

1904年(明治37年)7月、数え4歳の時に東京座で二代目中村兒太郎を襲名し『仮名書太平記』の塩谷の息・竹若で初舞台。1916年4月歌舞伎座京鹿子娘道成寺』の白拍子花子で五代目中村福助を襲名。以後は初代中村吉右衛門の相方を務めることが多く、美貌で気品のある芸風で人気を集め、次代を担う若手の花形役者として将来を嘱望されるようになった。1925年に大阪宗右衛門町の新大和屋の梅弥と結婚[1]

羽衣会を主宰し舞踊活動の充実化を推進していたが、1933年8月11日、神奈川県葉山の別荘で腹膜炎と胸病を併発して急死。33歳没。

当たり役は『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、『春興鏡獅子』の女小姓・弥生、『妹背山婦女庭訓』の雛鳥、『籠釣瓶花街酔醒』の八橋、『仮名手本忠臣蔵・九段目』の小浪など。

実弟に六代目中村歌右衛門七代目中村芝翫は長男、八代目中村芝翫は孫、六代目中村勘九郎二代目中村七之助六代目中村児太郎は曽孫にあたる。

伝記

  • 加賀山直三『ある女形の一生 五代目中村福助』東京創元社 1959

福助の登場する小説

脚注

関連項目


  1. ^ 『朝日新聞の記事でみる恋愛と結婚』朝日新聞社、1997年、p396


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