上方演芸会
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番組の歴史
- 1949年9月14日に、『上方演芸会』として放送開始し、番組の司会進行は芦乃家雁玉(あしのや がんぎょく)・林田十郎(はやしだ じゅうろう)の2人が務め、この時の番組冒頭挨拶の関西弁での「いらっしゃいませ。こんばんは」は、当時会場に来た観客からそれだけで笑いを誘うという人気芸となり有名となった[注釈 2]。
- 番組放送開始当初は、NHK大阪放送局のスタジオからの生放送で、生バンドやお囃子も出演して生演奏をしていた。演奏していたのが大阪放送管弦楽団と望月太明蔵社中が担当。番組に立ち上げに携わったのは秋田實で新作の台本の多くも秋田が書いた。
- 番組名は「上方演芸会」から、「浪花演芸会(なにわえんげいかい)」「こんばんは大阪です( - おおさか - )」「上方寄席(かみがたよせ)」になった時期もあるが、1974年4月から再び「上方演芸会」となって現在に至る。
- 番組開始当初から番組コンセプトとして「家族みんなで楽しめる漫才」をモットーとして、「いつもフレッシュなオール新作漫才で行こう」と、演芸作家等に漫才台本を依頼して、漫才師等に提供しており、現在迄に、5000本以上の新作漫才を放送している(「新作漫才」の台本は、10日から1週間前には漫才師には届けられる)。
- 1950年8月の50回目の記念放送では、阪急西宮球場から公開放送がされて、4万人の観客が入った。
- その後、NHK大阪放送局での生放送以外でも、公開放送形式で地方からの生放送もする事もあり、交通事情が悪かった時代には、出演者数組と番組担当者での「巡回放送的」な「旅巡業」をしたり、録音放送になってからも「旅巡業」は続いていた。
- 番組の司会進行は後に、NHK大阪放送局のアナウンサー等が担当したり、後に、収録担当地域のNHKアナウンサーが担当する事もあるが、現在でも司会進行を担当している元NHKアナウンサーで、現在フリーアナウンサーの井上善夫は、NHK在職時にNHK大阪放送局に赴任した1969年から退職後の現在迄40年近く同番組を担当し、「300回位は番組の司会進行を担当した」と、2008年11月2日に放送の「上方演芸会 60周年記念スペシャル」の放送内で語った。
- 2014年6月22日に番組に長らくディレクターとして携わった熊谷富夫が食道がんで死去[2]。
注釈
- ^ 本来は3月16日までだったが、選抜高等学校野球大会が雨天中止となったため
- ^ 外部リンクに当時のアーカイブス映像あり
- ^ 3月20日の放送のうち、午前の放送終了となる11:55から午前の審議が実際に終了した12:10頃までの録音放送。
出典
- ^ 1996年4月5日 信濃毎日新聞 ラジオ欄
- ^ 演芸番組ディレクターの熊谷富夫さん死去 朝日新聞 2014年6月23日
固有名詞の分類
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