ヴィクトリヤ・シニツィナ 経歴

ヴィクトリヤ・シニツィナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 13:16 UTC 版)

経歴

2010ジュニアグランプリファイナルジガンシン
2011ジュニアグランプリファイナルジガンシン
2017スケートアメリカでカツァラポフ
2019世界選手権カツァラポフ

1995年モスクワ生まれ。1999年にスケートを始める。ルスラン・ジガンシンとカップルを組み、2006年ごろから全国規模の競技会に出場する。

2008年からISUジュニアグランプリ他の国際競技会に出場。2010/2011 ISUジュニアグランプリではファイナルに進出、2位となる。

2011-2012シーズンはジュニアグランプリジュニアグランプリファイナル、ロシアジュニア選手権、世界ジュニア選手権と、出場した試合すべてでSD、FD1位で優勝という成績を残した。

2012-2013シーズン、シニアクラスに移行しグランプリシリーズに参戦。ロステレコム杯では銅メダルを獲得した。ボルボオープンカップではシニアの国際大会で初めて優勝を果たした。

2013-2014シーズン、NHK杯ではSDのリフトで落下し8位スタート。FDでも挽回はならず最下位の8位で競技を終えた。ユニバーシアードでは3位。ロシア選手権の表彰台は過去3年間同じ顔ぶれだったが、エカテリーナ・リャザーノワ/イリヤ・トカチェンコ組を破り銅メダルを獲得。ソチオリンピックの代表権が懸かったヨーロッパ選手権ではロシアで2番目の成績を収める4位となり代表に内定。オリンピックでは16位、世界選手権では自己ベストを更新し7位だった。世界選手権後にはジガンシンとのカップルを解散した[1][2]。4月11日にはニキータ・カツァラポフとのカップルが結成され[3]アメリカミシガン州カントンでマリナ・ズエワの指導を受ける[4]

2014-2015シーズン、ロステレコム杯では4位。NHK杯では2度のリフトの落下もあり7位に沈んだ。ロシア選手権では4位。

2015-2016シーズン、スケートアメリカで銀メダルを獲得。ロステレコム杯では銅メダルを獲得した。ロシア選手権はSDで首位に立つも、FDのシンクロナイズドツイズルでミスを犯し、2位に順位を落とした。欧州選手権では4位、世界選手権では9位となった。

2016-2017シーズン直前にロシアに帰国し、オレグ・ボルコフの元で練習を始めた。それに加え、エレーナ・チャイコフスカヤの指導も受け始めた。ロシア選手権では3位となり、欧州選手権代表に選出されるも、ロシアカップルの3組中最下位の10位に沈んだ。シーズン終了後、アレクサンドル・ズーリンにコーチを変更した[5]

2018-2019シーズン以降、ガブリエラ・パパダキス/ギヨーム・シゼロン組相手に何度も苦杯を飲まされ続けていたが、2020年の欧州選手権のRDで2位ながらパパダキス/シゼロン組とは僅か0.05点差とこのペアを倒す最大の好機が訪れた。そして迎えたFDはカーブリフトこそ危なかったがそれ以外は安定した演舞で首位に立つ。その後のパパダキス/シゼロン組にミスが相次いだ事が幸いし初めてパパダキス/シゼロン組を倒して初優勝を飾った。

2022年3月18日、モスクワのルジニキ・スタジアムでのクリミア半島併合から8年を祝う式典で、ロシア軍やプーチン大統領を支持するシンボルである「Z」の文字が入ったジャケットを着用した。








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