レニャーノの戦い レニャーノの戦いの概要

レニャーノの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 15:23 UTC 版)

レニャーノの戦い
神聖ローマ帝国とロンバルディア同盟の対立中

レニャーノの戦い(Massimo d'Azeglio画、1831年)
1176年5月29日
場所レニャーノ
結果 ロンバルディア同盟の勝利
衝突した勢力
神聖ローマ帝国 ロンバルディア同盟
指揮官
フリードリヒ1世
戦力
3,000人 3,500人
被害者数
重大 重大

中世イタリアにおける教皇派と皇帝派の抗争の中に位置づけられる戦闘であるが、近代にイタリア統一運動が盛んになると「イタリアが連帯して外国支配に勝利した戦い」として評価され、「イタリア愛国主義のよりどころ」になった。

ロンバルディア同盟

ロンバルディア同盟1167年、おおむねヴェローナ同盟 (it:Lega Veroneseをもととして結成された[1]。 それは神聖ローマ帝国の「バルバロッサ」ことフリードリヒ1世に対抗してロンバルディア地方の都市が相互の連帯を約束した連合であった。 ロンバルディア地方の諸都市はロンバルディア地方の小さな村ポンティーダにて誓約した。

モンテ・ポルツィオの戦いローマ教皇アレクサンデル3世が神聖ローマ帝国軍に惨敗した後、ロンバルディア同盟は反神聖ローマ皇帝の合法的な戦闘集団としては最後のものとなり、教皇からの強い後ろ盾があった。

フリードリヒ1世の第5次イタリア遠征

1174年9月、フリードリヒ1世は第5次イタリア遠征に着手した。ロンバルディア地方での間断なく続く反乱の鎮圧と教皇との不和を解決するためにである。

フリードリヒはアルプスの向こうでは8000人の騎士を率いていて[2]9月の終わりにはピエモンテに到着した。彼のいとこハインリヒ獅子公と彼の軍はいったんは帝国軍の遠征から外れた。

フリードリヒはスーザ1168年の振る舞いの雪辱を果たしたかった。9月30日彼の軍はこれを攻略し焼き払った。

彼の次の目標はアスティの町であった。彼は7日間の包囲戦で攻略している。10月には、フリードリヒ1世はついに約束していたボヘミアからの増援を受けた。 フリードリヒ1世の迅速かつ猛烈な当初の成功には、辺境伯モンフェッラート侯 グリエルモ5世ビアンドラーテ伯がロンバルディア同盟を破ったからである[3]

アレッサンドリア包囲戦

「アレッサンドリア包囲戦」はフリードリヒ1世の、この遠征が雪辱戦であり、ロンバルディア同盟を完膚なきまでに叩き教皇を排除するという性格から、第5次イタリア遠征において重要な出来事であった。 したがって次の目標はロンバルディア地方のアレッサンドリア市であった。アレッサンドリアはミラノの難民によって建設された。彼らは1162年にフリードリヒ1世の軍がミラノ市街を焼き破壊した後に逃げてきたのである[4] 。そして名前は教皇アレクサンデル3世に由来する。

どの屋根も藁ぶきだったことから「藁の都市の包囲戦」と呼ばれたこの戦いは、10月の終わりに始まった。 フリードリヒの驚きと怒りに対し、帝国軍はこの町を攻略できず、門の前で冬を過ごすことになった。 聖土曜日に、フリードリヒ1世の軍は塀の下にトンネルを掘って侵入しようとした。しかし、ミラノ市民によって踏みつぶされて撃退された[3]。 アレッサンドリアの抵抗はロンバルディア同盟の最初の勝利であった。 フリードリヒ1世は包囲を中止せざるをえなくなった上、ロンバルディア同盟軍が進軍してきたので、パヴィアまで後退した[3]


  1. ^ Lexikon des Mittelalters: Band IV Seite 931
  2. ^ a b Erich Brandenburg, Die Nachkommen Karls des Großen
  3. ^ a b c d KurowskiFranz:p.292
  4. ^ H. E. Marshall, The History of Germany, p. 211 and p.212
  5. ^ a b c d Magill's Guide to Military History
  6. ^ O. Engels, Die Stauferzeit (Rhein. Gesch. I/3, 1983), 225–237
  7. ^ Lexikon des Mittelalters: Band IX Spalte 60
  8. ^ Wies, Ernst W.: Seite 69,164,181,241,243,251
  9. ^ *Troisi, Francesco (May 2010). “Quel 29 Maggio del 1176” (Italian). Medioevo: 18–29. 
  10. ^ Paolo Grillo, Legnano 1176. Una battaglia per la libertà, p.161
  11. ^ M. B. Synge, The Discovery of the New World, p. 85
  12. ^ a b H.E. Marshall, The History of Germany, p. 215
  13. ^ Lucy Rial, "Garibaldi, Invention of a Hero", p.74


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