レッド・デッド・リデンプションIIの開発
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キャラクターの開発
本作の撮影は2013年に始まり、全部で2200日続いた。1200人の役者が出演し、そのうち700人が50万のせりふを分担した[4]。演技を録画するため、モーションキャプチャーを使用したほか、後でアニメーションに使用する表情を録画するため、顔を録画するカメラを使った[25]。およそ60台か70台のカメラが使用された[26]。モーションキャプチャーのセットは通常、ゲーム内の背景の位置関係に正確であり、事前に映像化されたゲーム内の背景がモニターで役者とスタッフに表示された[26]。ロックスターはダッチ・ギャングのキャラクターの配役を多様なものにしたいと考えた。物語を作りだし、本作に複雑さを加えることに役立つため、アンサンブルキャストはナラティブを書くときに有利であるとシニア・クリエイティブ・ディレクターのMichael Unsworthは述べた。ライターは特にそれぞれのキャラクターの背景にある個人の物語に焦点を合わせ、ダッチ・ギャングに入る前のキャラクターの人生とダッチ・ギャングに留まる理由を掘り下げた。ダッチ・ギャングは「帰属意識と目的意識」を与える「家族」であるとUnsworthは考え、各キャラクターの物語を分析すること、アーサーとそれぞれのキャラクターの関係性が物語に重要であった[2]。キャラクターの性格が物語をより良いものにすることができなかったため、開発中に削除されたキャラクターが何人かいた。RDRのセリフの一部ではダッチが公平なリーダーであると言われており、それにより開発チームはダッチ・ギャングで様々なキャラクターを作ることができた[2]。
主人公を1人にするほうが西部劇の物語の構成により適しており、プレイヤーがキャラクターをより深く理解することができるため、開発チームは『グランド・セフト・オートV』の3人の主人公とは対照的に、本作においてプレイヤーが操作する主人公を1人にすることにした[2][22]。プレイヤーは操作しないが、ダッチ・ギャングの会話や生命観は『グランド・セフト・オートV』で主人公を掘り下げたことから着想を得た[2]。ロックスターは物語の中にプレイヤーの主体性を認めたいと考えた。アーサーを操作するのはライターでもプレイヤーでもなく、「ライターとプレイヤーの繊細な押し合い」であるとUnsworthは述べた[2]。開発チームはアーサーの人間関係についてプレイヤーにより自由を与えようと試みた。物語が始まるとき、アーサーはすでに他のギャングの一員と人間関係を築いており、そのため、プレイヤーが適切なやり方で反応できるように開発した[8]。ハウザーは主人公が弱いものとして始まり、物語が進むにつれて強くなるという決まりきった展開を転覆させたいと考えた。本作の開始時点でアーサーはすでに強く、「アーサーの世界観が崩れるとき、より知的に目まぐるしく変化する状況に巻き込まれる。」[7]ハウザーはアメリカのフロンティアの衰退がアーサーに重大な影響を与えると考え、アーサーが「自然の厄介さと文明化で迫りくる工業化の残忍性との間で板挟みになる」と述べた[4]。
新たな方法でキャラクターを作り上げるため、ロックスターは役者が頻繁に役者自身のやり方でシーンを撮影できるようにした[2]。役者たちは制作中に親しい間柄になり、このことが各自の演技に役立った[27]。Roger Clarkは三船敏郎からアーサーの描写の着想を得た[26]。三船の演じたキャラクターは「風変りな」ユーモアのセンスがあり、同時に毅然としていると考え、これはアーサーを演じるときに表現したいと思っている複雑さであると考えた[28]。忠誠心を裏切らざるを得ないアーサーと似たような状況になっているため、Clarkは『The Proposition』(2005年)から着想を得た。また、『真昼の決闘』(1952年)やジョン・ウェインの作品などの映画を観た[25]。Clarkは『ドル箱三部作』(1964年-1966年)を観たが、アーサーのほうが口数が多いと考えたため、クリント・イーストウッドの名無しの男の描写からはあまり着想を得られなかった[26]。Clarkはプレイヤーがアーサーの生き方を選択しても納得できるほど複雑なキャラクターを表現したいと考えた。2つの生き方が違うため困難に直面したが、アーサーは容易に矛盾したことを言う可能性がある複雑なキャラクターであると自分に言い聞かせた[25]。ジョン・マーストンに家族がいる、つまり、アーサーが羨むものを持っているため、当初アーサーはジョンに腹を立てていたが、ダッチ・ギャングが瓦解するにつれて、アーサーはジョンを助けるために行動し、「自分にしていればよかったと思ったことをしようとする」とClarkは考えた[28]。自分の演技に着想を得るため、ClarkはRDRにおけるRob Wiethoffのジョンの描写を観た[29]。ハウザーはClarkの声を聞かないようにするため、セットでClarkと会わないようにした[7]。
Benjamin Byron Davisは2013年の半ばにダッチを再度演じるよう依頼された[30]。Davisは魅力的で自信のある男性としてダッチの最盛期を演じ、約1年後にダッチが落ちぶれる様子を演じた[30]。ダッチは自分を犯罪者と見なしておらず、自分を「分断され、抑圧するように仕組まれた権力の腐敗した体制」と戦う人間であると見なしているとUnsworthは考えた[2]。ダッチの「無政府主義で、反体制の言葉づかい」はダッチ・ギャングがダッチと留まるだけの説得力があるとUnsworthは述べた[2]。ジョン・マーストンを作り上げる際、プレイヤーがすでにジョンに共感しているため、RDRでジョンが登場したことはライターを制限すると考えた[2]。Wiethoffはジョンを再度演じる際、自分の人生に目を向けた。ジョンが認められたくて他のギャングに目を向けるのと同じ方法で、Wiethoffは賛同を求めていつも姉の男友達を尊敬していた[26]。ジョンの性格にはインディアナ州のシーモアにある自分の地元の町にいた「とてもタフなやつら」から着想を得た[29]。モーションキャプチャー・ディレクターのRod Edgeはセイディ・アドラーを「とても女性的でとても強い」と表現した[31]。役者のAlex McKennaはセイディがアーサーの恋愛の対象ではなく、アーサーと対等に書かれていることを楽しんだ[31]。Noshir Dalalは日本とパールシーの民族的背景があるため、父親がアフリカ系アメリカ人で母親がネイティブ・アメリカンであるチャールズ・スミスに共感した。Dalalはチャールズを演じる際に自分の私生活の経験を参考にした[26]。ハビア・エスクエラは「故郷、つまり、所属する場所を探して」おり、アメリカン・ドリームをつかむこととメキシコの故郷を懐かしく思うことの間で引き裂かれているように感じているとGabriel Sloyerは考えた[32]。Sloyerは同じくハビアという名前の自分の父親のことを考え、アメリカへ移住した父親の経験について考えた[33]。Peter Blomquistはマイカ・ベルを「不快な日和見主義者」であると表現した[34]。Blomquistは他のものから着想を得るのではなく、何もないところからマイカを作り上げることを選んだ[34]。
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