ラコニア (ニューハンプシャー州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 23:34 UTC 版)
歴史
かつてアクアドクトン・ビレッジと呼ばれるアベナキ族インディアンの大きな村が、ザ・ウェアズと呼ばれる場所に存在した。そこはウィニペソーキー川の出口で漁の簗を発見した開拓者がその名前を付けた。初期の探検家はインディアンの伝承にうたわれている五大湖やカナダのセントローレンス川を探して、ピスカタカ川を辿って北のシャンプレーン湖に行きつくことを期待していた。1652年頃、エンディコットの測量隊が地域を訪れており、そのことが土地の目印であるエンディコット・ロックの名に残されている。1746年にはラコニアに砦が築かれることになった。しかしイギリスとフランス、さらにそれぞれが同盟するインディアン部族間の敵対関係が続いたために開拓が妨げられていた。1761年から入植が始まり、その後長い間、「メレディスブリッジ」と呼ばれ、メレディスとギルフォードの一部に留まっていた。
1765年から、製材所と製粉所がミル通りに設立され、その後間もなくパレード通りに宿屋ができた。1822年頃、裁判所が建てられ、1840年にベルナップ郡が創設されたときに郡庁所在地になった。1832年、ベルナップ・ミルが建設されて繊維を製造し始めた。その建物は今日までほとんど変わっておらず、アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定される博物館になっており、国内でも最古の変更が無いレンガ造り繊維工場となっている。土地の工場は木材、繊維、靴、靴下、織機、針を製造した。しかし市内最大の雇用主はラコニア・カー会社であり、鉄道、路面電車、地下鉄の車両製造者だった。1848年に創業し、1930年代まで続いていた。鉄道は1849年に町を通り、貨物を運び、また人気のあるウェアズビーチに夏の観光客を次第に多く運んでくるようになった。
1855年、ラコニアはメレディスブリッジ、レイクポート、ウェアズの土地、およびジルマントンの一部から町として法人化された。町名はジョン・メイソン大尉と植民地時代に土地の区画を売ったマソニア領主によって形成された昔のラコニア社から得られた。1860年位大火があり、メインストリートのミル通りからウォーター通りまで大半を破壊した。さらに1903年にはレイクポート大火が起こり、その火勢があまりに強かったので、遠くドーバー市からまで消防団を列車で呼び寄せることになった。ラコニアは1893年に市として法人化された。
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郡庁舎、1906年
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チャーチ通り、1912年頃
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鉄道駅、1910年頃
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中央事業地区のパノラマ、1910年頃
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ラコニア中心街のベルナップ・ミルズ、2008年
- ^ “Quickfacts.census.gov”. 2023年12月20日閲覧。
- ^ “Find a County”. National Association of Counties. 2011年6月7日閲覧。
- ^ “US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990”. United States Census Bureau (2011年2月12日). 2011年4月23日閲覧。
- ^ “Geographic Identifiers: 2010 Demographic Profile Data (G001) - Laconia city, New Hampshire”. U.S. Census Bureau American Factfinder. 2011年11月7日閲覧。
- ^ Foster, Debra H.; Batorfalvy, Tatianna N.; Medalie, Laura (1995). Water Use in New Hampshire: An Activities Guide for Teachers. U.S. Department of the Interior and U.S. Geological Survey
- ^ “American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
- ^ Music Clinic
- ^ Staff (2014年3月14日). “Fighting Spirit Laconia bound: Northern States Hockey League team will call Ice Arena home next winter” 2014年6月2日閲覧。
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