ユニヴェル・ゼロ 略歴

ユニヴェル・ゼロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 09:18 UTC 版)

略歴

1973年、共にベルギーズール・バンド「アーカム (Arkham)」(前年に解散)のメンバーだったクロード・ドゥロンとダニエル・ドゥニは、新しいグループ「ネクロノミコン (Necronomicon)」を結成した。その頃には、ドゥロン(トランペット)とドゥニ(ドラム)の他には、ロジェ・トリゴー(ギター)、ギ・セジュール (ベース)、パトリック・アナピエ(ヴァイオリン)、ジョン・ヴァン・リーメナン(サックス)、後にヴァンサン・モトゥーユ(キーボード)というメンバーでグループが構成されていた。当時、ギ・ドゥニ(パーカッション)がいくつかのショーとリハーサルに参加し、ジャン=リュック・マンドゥリエ(キーボード)はリハーサルの間だけ在籍していた。ネクロノミコンは、1974年にユニヴェル・ゼロと改名された。

しばらくの間、ユニヴェル・ゼロは、ロック・イン・オポジション(RIO)と呼ばれる音楽運動の一部となっていた。これは1970年代後半に制作されたディスコパンクといった音楽とは対照的に、濃密で挑戦的な音楽を生み出すことを目指していた。バンドが初期に影響を受けていたのは明らかにバルトークストラヴィンスキーだったが、同様に、同じベルギー人であるアルベール・ユイブレシュト (Albert Huybrechts)のようなあまり知られていない作曲家も引用した。

初期のアルバムは、ほぼ完全にアコースティックでオーボエスピネットハーモニウムメロトロンをフィーチャーしていたが、1980年代のアルバムはシンセサイザーエレクトリック・ギターに依存する傾向があり、はるかにエレクトリックな音として聴こえた。

1977年に、彼らは最初の同名アルバム『ユニヴェル・ゼロ』をリリースし、これは後にリミックスして『1313』と改名されてリリースされた。このアルバムは楽器が主にアコースティックであるという事実にもかかわらず、ヘヴィなロックへのアプローチを示していた。それは主にドラムとベースの使用によるものだった。2年後のアルバム『異端』ではさらにダークな音になった。その後のアルバムは少しだけ音を明るくしていったが、これまで以上に電子的な音になった。

これらの変化にもかかわらず、彼らの全体的なサウンドはかなり一貫していた。

グループは1987年に解散したが、1999年に再結成を果たした。その間に、ドラマーのダニエル・ドゥニは2枚のソロ・アルバムをリリースし、フランスの似た傾向のバンド、アール・ゾイに加わった。1999年以降、ユニヴェル・ゼロは5枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。

2011年に、ユニヴェル・ゼロは、ベルギーのプレザンとアラニスという2グループと力を合わせ、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベルギー」と呼ばれる17人のメンバーからなるアンサンブルを結成した。彼らは2011年9月にフランスのカルモーで開催された第4回ロック・イン・オポジション・フェスティバルで初演し、そこでは「New York Transformations」(クルト・ビュデ作曲)が演奏された。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベルギーとユニヴェル・ゼロは、ドキュメンタリー映画 『アバウト・ロック・イン・オポジション』に登場している[1]


注釈

  1. ^ 「Univers Zéro」および「Univers-Zero」とも呼ばれる。フランス語では、大文字の「Zéro」という単語は、「ZÉRO」または「ZERO」のどちらかで正しく表記される。

出典






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