マーティン (駆逐艦・2代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 06:32 UTC 版)
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1939年10月23日起工。1940年12月12日進水。
PQ17船団運行の際、マーティンは本国艦隊の護衛として1942年6月30日にスカパ・フローから出航し、ベア島沖に展開。7月11日にスカパ・フローに戻った。
マーティンは7月15日にスカパ・フローを離れ、セイジスフィヨルズルへ向かった。そこから7月20日に駆逐艦マーン、ミドルトン、ブランクニーとともに護衛艦や商船用の補給品を積載してアルハンゲリスクへと向かった。7月24日にコラ湾に着き、その数日後にアルハンゲリスクに到着。8月14日にマーティンはアルハンゲリスクを離れ、アメリカの巡洋艦タスカルーサと合流。コラ湾に立ち寄り、8月24日に駆逐艦マーン、オンスロートとともに出航。マーティンはドイツの機雷敷設艦ウルム (Ulm) を沈めて54名を捕虜とし、8月30日にスカパ・フローに着いた。
9月4日、マーティンはPQ18船団護衛のためスカパ・フローから出航。船団ではマーティンはB部隊に属し、巡洋艦シラ、護衛空母アヴェンジャーとともに9月9日にヤンマイエン島南西で船団と合流した。船団は空襲やUボートの攻撃により40隻中10隻を失った。9月16日、マーティンはシラや他の駆逐艦とともに西へ向かうQP14船団へ移った。この船団は空襲は受けなかったもののUボートの攻撃で3隻を失い、他に護衛艦2隻と給油艦1隻も失われた。マーティンは9月27日にスカパ・フローに着いた。
マーティンはトーチ作戦でH部隊の護衛部隊に割り当てられた。10月30日にH部隊の護衛としてスカパ・フローを出航し、11月5日にジブラルタルで給油。11月8日、アルジェやオランへの上陸を支援するH部隊に再び加わった。11月10日、マーティンはドイツ潜水艦U431の雷撃を受け爆沈。生存者は63名で、駆逐艦クエンティンによって救助された。
関連項目
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- 1 マーティン (駆逐艦・2代)とは
- 2 マーティン (駆逐艦・2代)の概要
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