ベラルーシ 地方行政区分

ベラルーシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 09:29 UTC 版)

地方行政区分

主要都市

国民

民族構成(ベラルーシ)2009年
ベラルーシ人
  
83.7%
ロシア人
  
8.3%
ポーランド人
  
3.1%
ウクライナ人
  
1.7%
その他
  
3.4%

民族

住民はベラルーシ人が83.7%、ロシア人が8.3%、ポーランド人が3.1%、ウクライナ人が1.7%、ユダヤ人が0.1%である(2009年)。かつては首都ミンスクの人口のうち、ユダヤ人やポーランド人が多数を占めていた時期もあるなど、多民族が共存してきた歴史がある。

隣国ウクライナではウクライナ人民族主義が非常に強く、国内に民族対立を抱え、結果的に2014年には深刻な内戦に陥った。これと比較して、ベラルーシでは民族主義的な意識は低く、ベラルーシ人とロシア人などとの民族間対立等は起きていない。いまなおミンスクには巨大なレーニン像が残るなどソビエト時代を肯定的にとらえる国民性もある。

言語

ベラルーシでは、ベラルーシ語ロシア語の二つの言語が国家語として憲法に規定されている[4]。ベラルーシで最も広く使われる言語はロシア語であり、家庭内では人口の70%に使用されており、ベラルーシ語が家庭内で使用される割合は23%となっている[5][4]。ベラルーシ語はロシア語ほど広く使用されないにもかかわらず、人口の53.2%が自身の母語を問われた際にベラルーシ語を選んでおり、ロシア語を母語とするのは41.5%にとどまっている。[5]ベラルーシの教育ではベラルーシ語とロシア語いずれも原則必修とされており、ベラルーシ人はおおむね両方の言語を一定の水準で使用することができる[4]。会話の中でベラルーシ語とロシア語のどちらともとれない曖昧な話し方はしばしば見られ、こうした口語はトラシャンカ(干草に藁を混ぜた飼料の意)と呼ばれている[4]

ほか、ポーランド語ウクライナ語、東イディッシュ語を話す少数派も存在する。[6]

宗教

宗教は東方正教会が80%である。その他ローマ・カトリックプロテスタントなどが信仰されている(1997年推計)。ロシア正教古儀式派ポモールツィベロクリニツキー派ベグロポポーフツィなどの信徒も存在する。

歴史

ベラルーシの歴史
Coat of arms of Belarus (official).svg
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先史時代(be)
東スラヴ人
キエフ大公国
ポロツク公国 / トゥーロフ公国
リトアニア大公国
ポーランド・リトアニア共和国
ロシア帝国北西地域) 
ベラルーシ人民共和国
リトアニア=白ロシア・ソビエト社会主義共和国
白ロシア・ソビエト社会主義共和国
 ベラルーシ共和国

ベラルーシ ポータル
· ·

ルーシの公国とモンゴル侵攻

6-8世紀にスラヴ民族が移住開始したと一般に言われていたが、近年では古代から既にスラヴ民族はこの地に定住し続けていたという説が有力である[7]

9世紀のキエフ・ルーシの一部だったポロツク公国がベラルーシの始まりとされる。バルト海黒海を結ぶ通商路として繁栄した。

10-11世紀にポロツク公国は版図を拡大し、 キエフ・ルーシやノヴゴロド公国と争った。南部には10世紀末にトゥーロフ公国が成立。一時、モンゴルに征服される

12世紀から13世紀前半には10前後の公国が存在し、ベラルーシ人の民族意識が高まり、団結してドイツ騎士団モンゴル帝国と戦った。13世紀までにベラルーシの地域(ルーシと呼ばれる地域の北半)の公国はすべてリトアニア大公国に併合される。リトアニア大公国における貴族の大多数は実はリトアニア人リトアニア語母語とする人々)ではなくベラルーシ人(当時はルーシ人、のちリトヴィン人ベラルーシ語版と呼ばれた)で、リトアニア大公国の公用言語リトアニア語ではなくベラルーシ語(当時は通常はルーシ語と呼ばれ、さらに、リトアニア大公国の官庁で使用された公式言語であることから官庁スラヴ語とも呼ばれた)が使われる。

ポーランド・リトアニア共和国

1387年のポーランドおよびリトアニア

1385年クレヴォの合同によりポーランド・リトアニア合同が成立すると、ベラルーシを含むリトアニア大公国全域の貴族の間で文化母語の自発的な「ポーランド化」が始まる。クレヴォの合同後最初のリトアニア大公であるヴィータウタス1430年に没すると、リトアニア大公国貴族によるポーランドの文化と言語の受容が加速した。1569年ルブリンの合同により物的同君連合としての単一国家である「ポーランド・リトアニア共和国」が成立するとこの地域の文化のポーランド化がさらに進み、リトアニア人とベラルーシ人を含むリトアニア大公国のほぼすべての貴族がポーランド化した。この「ポーランドへの同化」現象は1795年までの三度にわたるポーランド分割によりベラルーシ地域がロシア帝国に併合されるまで続いた。この間、貴族層の家系の大半とその他ルーシ人の多くはこの時代までにローマ・カトリック改宗を済ませ、母語もポーランド語を使用するようになっていたが、相変わらずルーシ語を母語とし東方正教会を信仰していた者も農民層を中心に多数いた。

ロシア帝国支配下

1月蜂起中のリトアニアラトヴィアベラルーシおよびウクライナにおける諸戦闘

その後、ロシア帝国に支配されていた時代は、地方自治レベルでは旧ポーランド・リトアニア共和国の貴族(ほとんどがローマ・カトリック教徒)たちに一定の権限が許されていた。その間貴族たちはポーランド・リトアニア共和国の独立を目指す蜂起を2度起こした。1830年11月に行われた大蜂起(十一月蜂起)が失敗に終わると、貴族たちを中心にポーランド系の多くの人々がロシア帝国を脱出し、西ヨーロッパアメリカ大陸の各国へ亡命した(これは「大亡命」と呼ばれる)。それでも民主ポーランドを復活させようとする人々は1863年に2度目の大蜂起(一月蜂起)を起こす。これがロシア帝国によって再び鎮圧されると、ポーランド貴族や商工民やインテリキリスト教徒であるかユダヤ教徒であるかを問わず徹底的な迫害に遭った。その結果、この地域の中産階級以上の人々(ほぼすべてがポーランド人 - ポーランド化した家系の人々 - であった)は亡命するか、あるいは財産を没収されてほとんど無産者となり、中産階級そのものが滅亡した。その結果、ベラルーシに残った人々の大半は農民となり、ロシア帝国による直接支配が進んだ。ベラルーシの農民の大半はポーランド語を話すローマ・カトリック教会信者か、ルーシ語を話す東方正教会信者かのどちらかであった。前者(すなわちルーシ人からポーランド人となった者)はポーランドに近い西部に多く、後者(ルーシ人でい続けた者)はロシアに近い東部に多かった。

一月蜂起以後はロシア帝国によるポーランド人(キリスト教徒とユダヤ教徒の間)分断政策が開始され、ロシア帝国から俗に「リトアニアのユダヤ人(リトヴァク)」と呼ばれるロシア系(東欧系)ユダヤ人たちが大量に送り込まれた。リトヴァクたちは14世紀の昔からずっとポーランドにいた西欧系ユダヤ人(ユダヤ教徒のポーランド人)とは文化も習慣も言語もかなり異なる人々で、ポーランドのキリスト教徒とユダヤ教徒の両方から嫌われる存在だったが、あまりに大量に移住してきたのでこの地域の人口動態を大きく変えてしまう事態になった。(この段落部分は、通常の理解とは異なる。通説的には次の通り。ベラルーシのユダヤ人は、ポーランドが呼び寄せた西欧ユダヤが、リトアニアとの合同により(リトアニア領内だった)ベラルーシに拡散したものが中心である(Lithuanian Jews)。その頃ロシアはユダヤ人の移住を認めていなかったので、領内にはほとんどいなかった。その後、ロシアがポーランド分割によりベラルーシを含む旧ポーランド・リトアニアの一部を領有した結果、ロシアは国内にユダヤ人を抱え込むことになったが、その後も分割領有前のロシア領内にはユダヤ人の立ち入りを認めなかった。)このルーシ農民階層、リトヴァク、そして後にロシアから大量に移住してくるロシア人の3者が、後のソヴィエト連邦(ソ連)ベラルーシ共和国の主要民族となり、特に最初の2者はソ連の無宗教政策によって完全に融合してしまうのである。

ソビエト連邦

リガ平和条約に基づいた、ポーランドソヴィエト・ロシアによるベラルーシ分割を批判するプロパガンダポスター。

1917年ロシア革命が起こり、そして第一次世界大戦の間占領していたドイツ軍の占領が終わった後、1918年には史上初の独立国となるベラルーシ人民共和国が樹立される。しかしこの政権は短命に終わり、1919年には白ロシア・ソビエト社会主義共和国が成立し、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦に加盟する。この頃に起こったポーランド・ソビエト戦争の結果成立したリガ条約により西半分がポーランドに割譲された。

1939年9月の第二次世界大戦の勃発により、ソ連軍ナチス・ドイツに続いてポーランドに侵攻。ポーランド東半分の占領と共に、リガ条約により割譲されていた領土を白ロシアに編入した。1941年からの独ソ戦(大祖国戦争)では激戦地となり、ブレスト要塞ミンスクの戦いを経てドイツ国防軍に占領された後、1944年バグラチオン作戦により奪回された。ハティニ虐殺など、ドイツは苛酷な統治を行った。対独反攻作戦において、ソ連軍は白ロシア戦線と呼ばれる方面軍を組織した。

1945年に第二次世界大戦が終わると、ポツダム会談での取り決めによってソ連とポーランドの国境が西へ移動され、ベラルーシ全域がソ連領ベラルーシ共和国となり、この地域に住むポーランド系住民は西方へ追放された。この追放をソ連や現在のロシア共和国では「移住」と呼ぶ。これにより、ベラルーシ共和国は家系がポーランド化せずにルーシ人(ベラルーシ人)だった者か、あるいは19世紀にロシアから大量に移住してきた東欧ユダヤ系の家系の者、あるいはその混血ばかりの国家となったが、さらにロシア共和国などから多数のロシア人が移住してきた。

1986年4月26日、ベラルーシ共和国の南のウクライナ最北部にあるチェルノブイリ原子力発電所事故が発生し、おりからの南風に乗って放射性物質が国境を越え、南東部のホミェリ(ゴメリ)州を中心とする地域に大きな被害が及び、同州に限定すると、1991年以降は世界的平均の100倍以上にも達している。一方、非常に軽度の汚染州であるビテプスク州では1993年以降0件のままであることから、原発事故による汚染と甲状腺がんの相関性が認められる[8]。(チェルノブイリ原子力発電所を参照)。

ソビエト連邦崩壊に伴う独立

1990年7月27日に独立宣言(主権宣言)を行い、1991年8月25日に独立が承認された。同年の12月8日にはベラルーシ最西部のベロヴェーシの森で、ロシアのボリス・エリツィン、ウクライナのレオニード・クラフチュク、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチの三者の間でソビエト連邦の解体を宣言、独立国家共同体 (CIS) 創設に関する協定が締結された。9月15日には国名が白ロシアから正式にベラルーシ共和国となった。

1991-1995年の国旗
(ルカシェンコ政権によりソ連時代の旗を基本にしたデザインに変更)
ベラルーシの国旗も参照)

ルカシェンコ政権

1994年に実施された大統領選挙では、ロシア連邦との統合を目指すなどの選挙公約を打ち出したアレクサンドル・ルカシェンコが当選した。ルカシェンコ大統領は1999年12月8日、ロシア連邦のボリス・エリツィン大統領(当時)と、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野においての統合を目指すロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約に調印した。しかし、その後、プーチンがロシア連邦の新大統領として就任し、ベラルーシのロシアへの事実上の吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになると、自らは初代「最高国家評議会議長(国家元首)」に就いて、ロシアには連合国家の閣僚会議議長(首相に相当)のポストを与えることでロシアの事実上の最高指導者になる野望を持っていたルカシェンコ大統領は反発するようになり、両国の統合は停滞した。その後も、ロシアがメドヴェージェフ大統領になっても、ロシアとベラルーシの関係悪化は続いた。

メドヴェージェフから引き継いで再び大統領となったプーチンは、2018年においてもベラルーシに対して、エネルギー輸出などで圧力をかけながら国家統合を迫っている。ルカシェンコは協議には応じている一方で、「ロシアが西にある唯一の同盟国を失うのなら、彼らの責任だ」「両国の連合は平等な立場でのみ発展できる」と牽制している[9]

2010年12月の大統領選挙では4選を果たしたものの、選挙後に野党の候補者が政権により拘束される[10]など、野党勢力への弾圧は続いたことで、アメリカ合衆国欧州連合(EU)を中心とした西側諸国からの圧力を受け、国際的にも孤立を深めた。財政問題や経済不況が続く中、SNSなどでの呼びかけで、政権に抗議する一部の市民たちは無言で拍手をしながら街を練り歩くなど、ルカシェンコ政権への抗議運動が発生し始めているが、反政府運動は徹底的に厳しく取りしまられている[11]

しかしながら、経済不況ながらもソ連時代から続く富の分配政策や物価の低価格設定などにより、国民の生活は一応の安定を保っていることと、実質的にはルカシェンコ派以外が政権を担う力は皆無であるため、アメリカ合衆国やEUが期待するのとは裏腹に反政府運動も一向に盛り上がらないのが現状である。また、2014年にはロシアとカザフスタンの提唱したユーラシア連合構想に加わってユーラシア経済連合創設条約に調印[12]。ルカシェンコ大統領はロシアとある面では敵対しつつも連携し、中国反米イランベネズエラなどの中南米諸国などといった非欧米諸国を中心とした国と巧みな外交手腕で経済援助を獲得することで、自身の独裁体制を維持している。




  1. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年10月18日閲覧。
  2. ^ a b c 服部倫卓、越野剛編著 『ベラルーシを知るための50章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2017年、58-59頁。ISBN 978-4-7503-4549-9
  3. ^ 伊東孝之、井内敏夫、中井和夫 編『世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』(山川出版社、1998年)p110
  4. ^ a b c d 服部倫卓、越野剛編著 『ベラルーシを知るための50章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2017年、122-127頁。ISBN 978-4-7503-4549-9
  5. ^ a b Population classified by knowledge of the Belarusian and Russian languages by region and Minsk City”. Belstat.gov.by. 2017年8月3日閲覧。
  6. ^ Gordon, Raymond G., Jr. (ed.), 2005. Ethnologue: Languages of the World, Fifteenth edition. Dallas, TX: SIL International. Online version: Ethnologue.com.
  7. ^ *J. P. Mallory, "Zarubintsy Culture", Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn, 1997.
  8. ^ Kazakov V.S., Demidchik E.P., Astakhova L.N. et.al., Thyroid Cancer after Chernobyl, Nature 359, 21-22, 1992
  9. ^ 「統合迫るロシア ベラルーシ反発/プーチン氏 資源輸出で揺さぶり/両首脳、作業部会設置は合意」東京新聞』朝刊2019年1月13日(国際面)2019年1月28日閲覧。
  10. ^ 2011年2月3日の『朝日新聞』朝刊9面
  11. ^ “Belarus Police Stifle Protests On Independence Day”. Radio Free Europe Radio Liberty. (2011年7月3日). http://www.rferl.org/content/belarus_marks_independence_amid_crackdown_on_dissent/24254152.html 2011年7月9日閲覧。 
  12. ^ “ロシアなど3ヵ国がユーラシア経済連合条約に署名−2015年1月1日に発効、域内の経済統合が加速− (ロシア、ベラルーシ、カザフスタン)”. JETRO. (2014年6月2日). http://www.jetro.go.jp/biznews/538be118a7f80?ref=rss 2014年8月1日閲覧。 
  13. ^ 半年無職だと「罰金3万円」を科せられる「ニート罰金法」 もし日本で制定されたら?
  14. ^ ベラルーシで「社会的寄生虫税」撤回求め抗議、大統領辞任要求も
  15. ^ 「社会寄生虫駆除法」成立 働かない者は罰金、拘束も
  16. ^ ベラルーシ大統領に「おもちゃ」で抗議、男性に有罪判決
  17. ^ ベラルーシの「拍手デモ」を警官隊が鎮圧、「蜂起を夢想するな」と大統領
  18. ^ http://www.huffingtonpost.jp/2013/09/13/ig-nobel-prize_n_3919177.html
  19. ^ “「欧州最後の独裁者」ルカシェンコ大統領窮地 ベラルーシ経済危機 露、統合路線を加速”. 産経新聞. (2011年5月31日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110531/erp11053100570002-n1.htm 2011年5月31日閲覧。 
  20. ^ “中国に急接近の独裁国家ベラルーシ 「スラブの兄弟」露はいらだち”. 産経新聞. (2013年7月3日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/130730/erp13073023220007-n1.htm 2013年8月3日閲覧。 
  21. ^ Independence Day parade in Minsk” (2018年7月3日). 2018年7月4日閲覧。
  22. ^ 中国のパレードカー、ベラルーシの閲兵式に登場” (2015年7月5日). 2016年8月21日閲覧。
  23. ^ ベラルーシ、中国製ロケット砲を公開” (2016年7月1日). 2018年5月7日閲覧。
  24. ^ The Belarusian Army Is Using A Lot Of Chinese Hardware” (2017年7月9日). 2018年5月7日閲覧。
  25. ^ Belarus Tests Secretive Rocket Launcher System in China” (2015年6月16日). 2017年6月22日閲覧。
  26. ^ Belarusian defence industries: doubling exports and launching ballistic missile production” (2018年4月30日). 2018年5月7日閲覧。
  27. ^ Belarusian traditional clothing”. Belarusguide.com. 2013年4月29日閲覧。
  28. ^ Belarus – Ornament, Flags of the World”. Fotw.fivestarflags.com. 2013年4月29日閲覧。
  29. ^ Canadian Citizenship and Immigration – Cultures Profile Project – Eating the Belarusian Way Archived 20 March 2007 at the Wayback Machine. (1998); retrieved 21 March 2007.


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