ヘンリー・ボーフォート (枢機卿)
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参考文献
- 尾野比左夫『バラ戦争の研究』近代文芸社、1992年。
- レジーヌ=ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著、福本直之訳『ジャンヌ・ダルク』東京書籍、1992年。
- 清水正晴『ジャンヌ・ダルクとその時代』現代書館、1994年。
- 松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。
- 城戸毅『百年戦争―中世末期の英仏関係―』刀水書房、2010年。
- トレヴァー・ロイル著、陶山昇平訳『薔薇戦争新史』彩流社、2014年。
関連項目
- イングランド・フランス二重王国
- ウィリアム・シェイクスピアの史劇に登場する。
- ^ ボーフォート枢機卿の権勢が揺らがなかったのは、彼が羊毛貿易で大儲けした莫大な資産を王家へ貸し付けていたからである。ヘンリー5世の治世から既に融資を始めていたが、ヘンリー6世の治世で毎年に渡り借金を提供、1437年まで合計約8万ポンドに上る金を融資して財源不足を補い、政界の影響力を強化した。以後も融資は1447年の死去まで続けられ、合計約5万ポンドに上った。尾野、P59 - P68、ロイル、P159。
- ^ この軍勢は元々ボヘミアのフス派討伐のため召集されていた物で、教皇が財政支援までして集めていた。にも拘らず、ボーフォート枢機卿はベッドフォード公と謀り、進路をボヘミアではなくフランスへ向けたためキリスト教国の顰蹙を買った。ペルヌー、P138、清水、P208 - P209。
- ^ グロスター公の後妻エレノア・コブハムが黒魔術でヘンリー6世を呪詛したと告発された。直ちにボーフォート枢機卿を筆頭とする宗教裁判が開かれ、エレノアは魔女と判定され終身刑、共犯者2名は死刑と決まった。グロスター公も離婚と宮廷出仕禁止を強いられ大いに面目を失い、抗戦派は打撃を受け和平派の勢いが増した。ロイル、P179 - P180。
- ^ 尾野、P20 - P21、ロイル、P75。
- ^ a b c d 松村、P62。
- ^ 城戸、P107、P119 - P120、ロイル、P88、P110 - P111、P425。
- ^ 尾野、P21、P38 - P46、ロイル、P159、P162 - P163。
- ^ ペルヌー、P198、P234、P242、清水、P265 - P266、P285、P324、ロイル、P168。
- ^ ペルヌー、P263 - P265、清水、P347 - P349、P357 - P359、城戸、P209、P214、P264、ロイル、P170、P177。
- ^ 尾野、P46 - P51、ロイル、P177 - P181。
- ^ 尾野、P51 - P54、ロイル、P184 - P192。
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