ピアノソナタ
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歴史
現在ピアノソナタとして演奏される作品には、ピアノの前身であるチェンバロなどの楽器を前提に作曲されたものも多い。ドメニコ・スカルラッティは、独奏チェンバロのためのソナタの大家として知られるが、これはチェンバロのための練習曲が後に『ソナタ』と呼ばれるようになったものである。ピアノソナタの父として知られるハイドンやモーツァルトの作品の初期のものも、本来はチェンバロやクラヴィコードのために書かれている。
ベートーヴェンは、第14番で第1楽章に緩徐楽章をおくなど更なる多様な試みを行い、古典派ピアノ・ソナタの最大の完成者として、そのピアノ・ソナタ集は「ピアノの新約聖書」として知られており、音楽学生にとっては世界的に避けて通れないレパートリーとなっている。
ロマン派音楽の時代である19世紀においては、ショパンやリストの一連の作品に見られるように小品集・演奏会用練習曲など他の形式の方が目立つようになった。ソナタの多くはベートーヴェンの系譜を継ぐ古典的な形式だが、リストのソナタ ロ短調は単一楽章による革新的な形式を用いた。[注釈 1]
19世紀末から20世紀初頭、後期ロマン派から近代音楽初期においては、古典的な形式への懐疑からかピアノソナタはさらに重視されなくなった。協奏曲や弦楽四重奏曲などと比べてもこの時代のピアノソナタは少ない。サティ・ドビュッシー・ラヴェル・ラフマニノフら名ピアノ曲を多く残した作曲家が小品集などの形式を好んだのが一因であろう。
その中でスクリャービンは10曲のピアノソナタを発表し、ロマン派を脱した第5番以降は単一楽章で独自の境地に到達した。顧みられることは少ないがメトネルは14曲を、ミャスコフスキーは9曲を残している。
その後新古典主義音楽の時代になると、古典的形式が再び見直され、古典派時代ほどではないにせよ、ピアノソナタという形式も顧みられるようになった。9曲を書いたプロコフィエフはこの世代のピアノソナタの大家である。
注釈
- ^ 作曲された当時、有力な音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックによって「ロ短調ソナタは、いつもむなしく動いている天才の蒸気製粉機である。ほとんど演奏不可能な、音楽の暴力である。私はいまだかつて、支離滅裂な要素がこれほど抜け目なく厚かましくつなぎ合わされたものを聴いたことがなかった。…この作品を聴いて、しかもなかなかの曲だと思うような人は、もうどうすることもできない。」と新聞で酷評された。(Neue freie Presse 1881年2月28日付)
出典
- ^ “Beethoven's Piano Sonatas”. digitalcommons.usu.edu. 2019年4月1日閲覧。
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