バディ・ホリー
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レガシー(残されたもの)
バディ・ホリーが次世代に残した重要なもの、それは直接的なカヴァーやイミテーターでは無くもっと外枠の「自ら曲を書き演奏して歌う」、すなわちシンガーソングライターというミュージシャンとしての新しいスタイルにあった。加えて少人数によるバンド編成やストラトキャスターをかき鳴らすメガネのロックンローラーというかつてないスター像に少年達は憧れ模倣した。
レジェンドたちの記憶
1957年7月イギリスのスキッフル・バンド、クオリーメンはなけなしのカネをはたいて1枚の78回転SP盤を制作する。バンドのメンバーは記念すべき最初の録音を共通のアイドル、バディ・ホリーの「ザットル・ビー・ザ・デイ」をディスクの片面に刻んだ。1960年ザ・クリケッツにあやかりバンド名を「ザ・ビートルズ」に変更する。(詳細はザ・ビートルズ参照)「私はバディの歌い方、そして歌詞が好きです。彼はそれまでのミュージシャンと全く違っていました。今では当たり前のように思うかもしれませんが当時シンガーソングライターなどと言うものは一人もいませんでした。私とジョンは彼に触発されオリジナル曲を書き始めました。バディ・ホリーは素晴らしいミュージシャンです。」[11](ポール・マッカートニー)[注釈 37]
1974年ロックンロール史家ジム・ドーソンはジョン・レノンと書簡を通じバディ・ホリーに関する一問一答を交わした。以下要約。
1 1958年クリケッツのイギリス・ツアーについて「ロンドンのパラディウムのステージを見た!ギターを弾きながら歌うバディは最高だったね!フェンダーギターを見たのはその時が最初さ。『ペギー・スー』のドラミングの秘密も分ったんだ。」
2 イギリスのミュージシャンに与えた影響は
「自分の事しか分らないな。だけど彼のレコードには皆影響を受けたんじゃないかな。どのグループもクリケッツを真似してたから。ビートルズの名前もクリケッツにインスパイアされたものだしね。作曲に関して僕とポールが一番影響を受けた。」
3 バディ・ホリーに対するあなた自身の気持ちは?
「革新的で偉大なミュージシャン。彼の影響はこれからも続くよ。存命なら何をしていたか、今でも思うんだ。彼が3コードでやった事を全てコピーした時、僕の中に作曲家としての萌芽があった。カポタストを使うのを見たのもバディが初めてだったしステージで眼鏡をかけるのもOKだ!僕はバディの相棒さ。」
回答末尾には「Love. John Lennon」の署名と共に眼鏡をかけた自身のイラストが添えられている[12]。
1964年ザ・ローリング・ストーンズはシングル盤「ノット・フェイド・アウェイ」で米国デビュー。オリジナルは1957年バディ・ホリーがボ・ディドリー・ビートを下敷きにし作曲したもの。全米48位、英国3位を記録[13]。「レコードのジャケットを見るまでバディ・ホリーは黒人だと思ってた。[14]」「バディから曲の書き方とそれをまとめる方法を学んだ。彼は美しい作家さ」(ミック・ジャガー)「1958年頃(イギリスでは)エルヴィスかバディ・ホリーの二派に分かれてたよな。見りゃすぐに分ったもんさ。エルヴィスファンは黒の革ジャン、バディのファンは何となくバディっぽい恰好してたもんだ。」(キース・リチャーズ )[15]
「バディ・ホリーは当時の音楽ヒーローの中でも一番親しみやすい存在だったね。そして唯一無二の本物だ。」(エリック・クラプトン、ロックギタリスト)
1959年1月31日ミネソタ州ダルース、事故3日前のバディー・ホリーのステージ。客席最前列に17歳の少年ボビー・ジマーマンがいた。「彼(バディ)とは3フィートしか離れていなかった。・・・そして彼は私を見た。」(ボブ・ディラン 1998年グラミー賞でのスピーチ)[16]
ホリーズのグループ名はバディー・ホリーにちなんで命名された。ロリー・ギャラガーはバディに憧れストラトキャスターをメインギターにした。エルヴィス・コステロはデビュー時バディを模した黒メガネをトレードマークにした。
オマージュ/トリビュート
音楽
1961年9月マイク・ベリー「トリビュート・トゥ・バディ・ホリー」リリース。初期フォロワーの一人として数えられるベリーによるトリビュート曲。UKチャート最高24位を記録。1971年11月ドン・マクリーン「アメリカン・パイ」リリース。翌年1月から4週連続1位を記録。3人のロックスターの死を題材としたトリビュートソング中最も著名な曲となる。以来この曲中繰り返される「音楽が死んだ日」というフレーズは1959年2月3日の航空事故を指す事となった。1994年ウィーザー「バディ・ホリー」リリース。デビューアルバム『ウィーザー (ザ・ブルー・アルバム)』からのシングルカットはビルボード誌オルタナティブ部門2位を記録。
バディ・ホリー個人へのトリビュート[17][18] | |||||||
No | 国籍[注釈 38] | アーティスト | 曲名 | レーベル | 規格番号 | 形態 | リリース |
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1 | Mike Berry With The Outlaws | Tribute To Buddy Holly | His Master's Voice | POP 912 / 45-POP 912 | シングル | 1961 | |
2 | Chad Allan and The Reflections | Tribute To Buddy Holly | Canadian-American | CA-802 | シングル | 1962 | |
3 | Hep Stars | A Tribute To Buddy Holly | Olga | SO 04 | シングル | 1965 | |
4 | Beat Buddies | A Tribute To Buddy Holly | Hansa | 18 528 AT | シングル | 1965 | |
5 | [注釈 39] | Phil Ochs | Buddy Holly Medley | A&M | 9010 | LP[注釈 40] | 1974 |
6 | Pilot | Oh Buddy Holly | Negram | NY-15 | LP[注釈 41] | 1974 | |
7 | Micky Dolenz | Buddy Holly Tribute | Romar | RO 715 | シングル | 1974 | |
8 | The Rubettes | My Buddy Holly Days | State | 2309 004 | LP[注釈 42] | 1975 | |
9 | Ashford | And Buddy Played Peggy Sue | Warner Bros | K 16495 | シングル | 1975 | |
10 | Showaddywaddy | Reve On | Bell | BELLS 256 | LP[注釈 43] | 1975 | |
11 | Frank Rothe | Die Legende Von Buddy Holly | Aladin | 1C 006-31 991 | シングル | 1976 | |
12 | Waylon Jennings | Old Friend | RCA | AFL 1-1816 | LP[注釈 44] | 1976 | |
13 | Mtalock | Oh! Buddy (The Music Will Never Die) | Le Cam | LC-915 | シングル | 1978 | |
14 | Familee | The Story Of Buddy Holly (Medley) | Bovema Negram | 5N 006-26206 | シングル | 1979 | |
15 | Teddy & The Tigers | Tribute To Buddy Holly | Poko | HOLLY 021 | シングル | 1979 | |
16 | Gyllene Tider | Ska Vi älska, Så Ska Vi älska Till Buddy Holly | Parlophone | 7C 006-35758 | シングル | 1980 | |
17 | Sonny Curtis | The Real Buddy Holly Story | Elektra | E-46616 | シングル | 1980 | |
18 | The Squares | Buddy Holly | Airebeat 4 | TICK 1 | シングル | 1980 | |
19 | Skidmark Band | Forget Buddy Holly? | Bejak | TSS-1018 | シングル | 1982 | |
20 | Andreas Martin | Das Erste Mal Im Leben (I Feel Like Buddy Holly) | Coconut | 106 803 | シングル | 1984 | |
21 | Alvin Stardust | I Feel Like Buddy Holly | Chrysalis | CHS 2784 | シングル | 1984 | |
22 | Iain Sutherland | It Could'a Been Buddy Holly | Avatar Communications | AVAT6 | シングル | 1984 | |
23 | John Rogers And The Time Travlers | Buddy Holly Days | Fraternity | F3504 | シングル | 1985 | |
24 | Bobby Vee And The Crickets | Buddy Holly Medley (What To Do; Crying, Waiting, Hoping; Learning The Game) | Rollercoaster | RRC 2009 | シングル | 1992 | |
25 | Weezer | Buddy Holly | Geffen | GFS 88 | シングル | 1995 | |
26 | The Smugglers | Buddy Holly Convention | Lookout! | LK185 / MRS-028 | EP | 1997 | |
バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーへのトリビュート[17][18] | |||||||
No | 国籍 | アーティスト | 曲名 | レーベル | 規格番号 | 形態 | リリース |
1 | Scott Wood | In Tribute To The Big Bopper, Ritchie Valens, And Buddy Holly (Three Friends) | B.E.A.T. | 1008 | シングル | 1959 | |
2 | Tommy Dee With Teen - Aires And Orchestra | Three Stars | Crest | 45-1057 | シングル | 1959 | |
3 | Loretta Thompson | Buddy - Big Bopper - Ritchie (You'll Never Be Gone) | Scoop | 45-1050 | シングル | 1959 | |
4 | Bennie Barnes | Gold Records In The Snow | D | 1052 | シングル | 1959 | |
5 | Hershel Almond | The Great Tragedy | Ace | 558 | シングル | 1959 | |
6 | Lee Davis | Three Young Men | Cub | K9026 | シングル | 1959 | |
7 | Ruby Wright | Three Stars | King | 45-S-5192 | シングル | 1959 | |
7 | Ray Campi | Ballad Of Donna And Peggy Sue (A Tribute To Ritchie Valens And Buddy Holly) | D | 1047 | シングル | 1959 | |
8 | [注釈 45] | Eddie Cochran | Three Stars | Liberty | LIB 10249 | シングル | 1966 |
9 | Don McLean | American Pie | United Artists | 50856 | シングル | 1971 |
映画/舞台
1978年5月コロンビアピクチャーズ配給映画「バディー・ホリー・ストーリー」公開。バディ役ゲイリー・ビジーは役作りのため32ポンドの減量を行い代役に頼る事無く自ら演奏、歌唱。評論家やファンから称賛を受ける。クリケッツのメンバーは事実と異なる部分に関し否定的だが作品は120万ドルの制作費に対し興行収入1,430万ドルを記録した[5]。
1987年7月コロンビア配給映画「ラ★バンバ」公開。リッチー・ヴァレンスの生涯を描いた作品。ロス・ロボスがサウンドトラックを担当。主題歌「ラ・バンバ」が全米No.1ヒット。マーシャル・クレンショーがバディ役を演じた。制作費650万ドル、興行収入5,422万ドル[5]。
1989年ミュージカル「バディ - ザ・バディ・ホリー・ストーリー」上演。舞台は英国ロイヤル劇場でスタート。好評を博し世界各国で上演。ローレンス・オリヴィエ賞、トニー賞を始め多数受賞。日本では1997年陣内孝則主演により公開。2018年までに出演者の総数は2万人を越え2,200万人の観客を動員、2019年現在もステージは続く[19]。
1973年公開ユニバーサル映画「アメリカン・グラフィティ」の作品中「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わった」というセリフがある。
注釈
- ^ 石油、酪農を主産業とする
- ^ 「Down the River Of Memories」を歌唱、賞金5ドルを得る
- ^ テープ・レコーダーの前身。ワイヤーに帯磁させ録音・再生を行う原理はテープと同じ
- ^ 1948年Hank Snowデビュー曲 「My Two-Timin 'Woman」
- ^ Jack Neal (1934〜2015) 1949年当時13歳のBuddyと出会う。1953年Buddy & Jackのコンビを組みKDAV「サンデー・パーティ」への出演、アセテート盤の制作を行う
- ^ この時期のステージではバディが一人でパフォーマンスする事があった
- ^ 翌15日同ステージにエルヴィス・プレスリー出演、バディ&ボブが前座
- ^ 一般に市販されるビニールレコードと素材が異なりアルミニウムの円盤にニトロセルロースラッカーをコーティングしたもの。プロユースの録音、放送での使用を目的とする。
- ^ このアセテート盤は現在所在不明。タイトルも分っていいない。
- ^ この地区は通称ミュージック・ロウと呼ばれナッシュビル音楽関係の主要なレーベル、出版社、スタジオが集中する
- ^ Jim Denny(1911〜1963)1946年WSMの局長に就任。1951年グランンド・オル・オープリーのゼネラルマネジャーに。1954年ウェッブ・ピアスと共同で音楽出版社シダー・ウッド・ミュージック設立。1966年演奏者以外の人物として最初のカントリー・ミュージックの殿堂入り。
- ^ Paul Cohen (1908〜1970)シカゴ生まれ。1920年代後半コロンビアの元でレコード・ビジネスに参入。1934年デッカ・レコードの設立に伴い入社、1935年シンシナティへ移住、デッカ中西部支店長に就任。1958年デッカ退社後自身のレーベルToddを立ち上げ、1964年Kappのカントリー部門責任者に。1970年死去。葬儀の際ミュージック・ロウは故人の追悼のため封鎖された。
- ^ 作曲者にノーマン・ペティも名を連ねるが原文に基づいた。ペティのこの作曲に対する関与は懐疑的な意見が多い。
- ^ ジェリー・アリソンは後のインタビューで「その時は誰がブラッドリーで誰がコーエンなのか分りませんでした」と答えている。表現が曖昧なのはそのため。
- ^ 人々をハッピーにさせる音を奏でる、という意味が込められていた
- ^ Cindy Louは ホリーの姪の名前
- ^ Peggy Sue Gerron(1940〜2018)は当時のジェリー・アリソンのガールフレンド。後二人は結婚する。
- ^ エレクトリック・ギターに複数のピック・アップがマウントされる場合、リズム/ソロの切り替えスイッチがボディ・トップに搭載される
- ^ Dean Barlow & the Crickets 1953年MGMから「Milk and Gin」でデビュー、同年Jay-Deeへ移籍。1954年Beaconリリース「Be Faithful」がヒット。1955年メイン・ヴォーカルDean Barlowがソロに転向。
- ^ バディのキャリア中、他名義のレコード制作はこの3枚のみ
- ^ Ivan 「Real Wild Child /Oh You Beautiful Doll」Coral 9-62017 1958年7月11日発売
- ^ Lou Giordano 「Stay Close To Me /Don't Cha Know 」Brunswick 9-551151959年2月発売
- ^ Acuff-Rose Music 1942年Roy Acuff、Fred Roseの共同によりテネシー州ナッシュビルに設立された音楽出版社。作曲家に対する誠意をモットーとし、契約や法律に無知な作家に対する不当な搾取が横行していた当時の音楽ビジネス界に一石を投じる。1954年フレッド・ローズ死去、息子ウェズリーが社長に就任。
- ^ Waylon Jennings 「Jole Blon /When Sin Stops 」Brunswick 9-55130 1959年5月発売
- ^ ピディアン・テンプルは1927年友愛団体「ナイツ・オブ・ピティアス」の集会場所としてN.Yに建造されたビルディング。1941年からデッカがスタジオとして所有。広いフロアと高い天井を持つ講堂をスタジオに改造したため反響の強いライブな環境を特徴とした。
- ^ Dick Jacobs(1928〜1988)バンドリーダー、作曲家、アレンジャー、A&Rマン。1950代から60年代にかけ主にデッカ系列の録音に携わった。「Main Title」「Molly-O」 (共に1956年)のヒット曲を持つ。 Buddy Hollyの他 Jackie Wilson 、Bobby Darin の録音をサポート。 この日(10月21日)自己のオーケストラを率いプロデュース、編曲を担当した。
- ^ この項正確な日時は不明。前後関係から1958年暮れの出来事と思われる。関係者のほとんどが故人となった現在、特定の人物を中傷する目的は無い。個々の視点により見解は分かれる。All Musicではロイヤリティに関し「当時の音楽界でよく行われた悪しき慣習」としつつペティによるバディの成功への貢献を最大限に評価している。
- ^ N.Yグリニッチビレッジ11番街5丁目。英語圏での「アパート」は日本におけるマンション規模の住宅にあたる。
- ^ ギブソン社製アコースティック・ギターJ-200
- ^ 1957年9月オクラホマで録音されたのは「メイビー・ベイビー」のためペティの記憶違いと思われるが原文をそのまま引用した
- ^ Tommy Allsup (1931〜2017) オクラホマ生まれ。1958年7月バディ・ホリーの録音に参加しキャリアをスタート。1960年代以降セッシュン・ミュージシャンとしてRonnie Smith, Roy Orbison, Willie Nelsonらの録音に参加。The Ventures 「Guitar Twist」の作曲者としても知られる。
- ^ Carl Bunch (1939〜2011) テキサス州ビッグスプリング生まれ。キャリア初期「Ronnie Smith and the Poor Boys」に在籍。1956年ノ・ヴァ・ジャック・スタジオ録音の際バディと知己を得る。1960年代以降Bob Osburn バンドを経てHank Williams Jr、Roy Orbisonらと共演。晩年バディ・ホリーのメモリアル式典に出席した際自ら「凍傷したクリケット」とサインした。
- ^ Ritchie Valens, J.P. “The Big Bopper”, Dion and the Belmonts, Frankie Sardo
- ^ 1933年アイオワ州クリアレイクに開業した音楽施設。2,100の客席と広いダンスフロアを持つ。2009年ロックの殿堂指定歴史的建造物。1979年から毎年2月に追悼コンサートが催されている。
- ^ これに対し当局は不慮の事故に際し親族への連絡を優先にし、それまでは実名報道を控える方針を決める。
- ^ 煩雑を避ける為「Buddy Holly」「The Crickets」名義を区別せず記載した。4曲入りEP、再発盤、1970年以降のシングルは割愛。バディの死後Coral、Libertyからリリースされた(バディ不在の)クリケッツのシングルは除外した。
- ^ 1976年7月1日ポール・マッカトニーはバディ・ホリーの楽曲著作権を買い取る
- ^ 原則としてリリース国を表記。複数国発売の場合ミュージシャンの出身国を優先した。
- ^ Phil Ochsはアメリカ出身。カーネギーホールのライブ盤はカナダA&Mからリリースされた。
- ^ 『Gunfight at Carnegie Holl』収録
- ^ 『Oh Buddy Holly』収録
- ^ 『Rubettes』収録
- ^ 『Step Two』収録
- ^ 『Are You Ready For The Country』収録
- ^ エディ・コクランはアメリカ出身。本トラックは1959年録音、当時未発表となっていたが1966年英リバティーからシングルカットされた。
- ^ 1955年4月23日アデア・ミュージックでセールスマン、クライド・ハンキンズからレス・ポールを下取りにしストラトキャスターを305ドルで購入
- ^ ギターのネックには弦の張力による反りが生じるため指板とネックの間にトラスロッド(金属製の棒)を仕込みヘッドもしくはエンド側から調整を行う
- ^ FAOSA 他の愛用者にはロイ・オービソン、フィデル・カストロなどが知られる
出典
- ^ a b c d Eder, Bruce. Buddy Holly | Biography & History - オールミュージック. 2021年7月22日閲覧。
- ^ Tobler, John (1979). The Buddy Holly Story. Beaufort Books. ISBN 0-8596-5036-7
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Buddy Holly”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 「THE BUDDY HOLLY STORY」John Beecher/Malcolm Jones共著1979年MCA原盤 LP
- ^ a b c d e f g h JACK HODJIN BOOKS「The True King Buddy Holly」2017年
- ^ Elvis Presley & Buddy Holly …Contrasts and Comparisons
- ^ a b c d 45cat.com Buddy Holly - Discography
- ^ Buddy Holly and the Crickets
- ^ a b musicvf.com/ Buddy Holly Top Songs
- ^ Discovermusic.jp/バディ・ホリー VS ボビー・ダーリン「Early In The Morning」
- ^ beatlesmagazineuk.com/the influence of buddy holly on the beatles
- ^ John Lennon on Buddy Holly
- ^ ザ・ローリング・ストーンズ全米最初のシングル「Not Fade Away」はボ・ディドリーを取り入れたバディ・ホリーのカヴァー
- ^ コオロギから生まれたカブトムシ
- ^ Buddy Holly remembered NME
- ^ Duluth Armory Buddy Holly Performance Inspired Bob Dylan
- ^ a b BUDDY HOLLY A COLLECTORS GUIDE Bill Griggs & Jim Black共著 RED WAX PUBLISHING 1983
- ^ a b 45cat
- ^ buddy the musical.com
- ^ Buddy Holly’s Les Paul
- ^ Buddy Holly, The Crickets Guitarist Gear
- ^ Buddy Holly’s glasses, lost since his death in 1959, are found in Mason City, Iowa
- ^ The Strange Case of Buddy Holly's Final Pair of Glasses
固有名詞の分類
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