ナレンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 09:54 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ナレンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー Narendra Rajya Lakshmi Devi | |
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ネパール王妃 | |
出生 |
不詳 |
死去 |
1775年1月11日 ヌワコート |
配偶者 | プリトビ・ナラヤン・シャハ |
子女 |
プラタープ・シンハ・シャハ バハドゥル・シャハ |
父親 | アヒマーナ・シンハ |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
ヴァーラーナシーのラージプート(あるいはバラモン)であるアヒマーナ・シンハ(アビマン・シンハ)の娘として生まれた[1][2]。
1740年2月、ゴルカ王太子(のちゴルカ王、ネパール王)プリトビ・ナラヤン・シャハとゴーラクプルで結婚した[3]。
1751年4月16日、のちのネパール王となるプラタープ・シンハ・シャハを出産した[4]。
1775年1月11日、夫のプリトビ・ナラヤンの死を受けて、寡婦殉死(サティー)した[5]。
参考文献
- 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年。
関連項目
- 1 ナレンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビーとは
- 2 ナレンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビーの概要
- ナレンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビーのページへのリンク