ステファン・ポンポニャック ステファン・ポンポニャックの概要

ステファン・ポンポニャック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/24 08:22 UTC 版)

略歴

1968年、心理療法士と歯科医の両親のもとに生まれる。幼少期はボルドーにて過ごす。最初の仕事は、パリのレ・アール地区にあるHôtel Costesの中庭のカフェのウェイターであった。18歳の時に、Ubu、The Colony、The DreamといったボルドークラブにてDJデビューを果たす。

学業と兵役を終えたのち、ロンドンに6ヶ月滞在し、1992年にパリに戻った。パリではQueen、Folies Pigalle、The Locomotive、Diable des Lombards、Privilègeといったクラブで活躍した。その1年後、ホテルLes Bains et DoucheのレジデントDJとなり、Claude Challeと出会う。1997年に、Albert de Panameの紹介によってHôtel Costesの共同所有者であるJean-Louis Costesに出会い、Hôtel CostesのレジデントDJになったと言われている。

1999年には、初のスタジオ・ミックス作品であるHôtel Costes, Vol. 1: France et Choiseulを発表した。次作であるHôtel Costes, Vol. 2: la suiteは、前作を上回る売れ行きを見せた。このVol. 2の3曲目であるPink Martiniの"Sympatique"がフランスにて自動車のCMに採用されたこともあり、Hôtel Costes, Vol. 2: la suiteは100,000枚以上を売り上げた。Vol. 1とVol. 2はフランスのBarclay Universalから発売されたが、Vol. 3以降の作品は、その好調さに目を付けたMSIから発売されている。これらVol. 1〜3だけで100万枚近く売り上げている。

ポンポニャックは20以上のスタジオ・ミックス作品を生み出す一方で、DJとしても活躍を続けている。グッチイヴ・サン=ローランといった有名ブランドのファッションショーでもDJを務めた。

ディスコグラフィ

スタジオアルバム

DJミックス

Hôtel Costesシリーズ

その他


  1. ^ Bloody Frenchのライナーノーツより


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