ジンギスカン (グループ) 日本への影響

ジンギスカン (グループ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 08:22 UTC 版)

日本への影響

オリコン洋楽シングルチャートで1979年8月6日付から5週連続1位を獲得した。

ジンギスカンは、楽曲『ジンギスカン』の強烈なインパクトにより、1970年代後半からディスコなどのダンスシーンでアラベスクなどとともに人気を博した。また、それにより当時の竹の子族と呼ばれる若者にも多大な影響を与え、日本語訳を含む数多くのカバー曲も生まれた。また日本のテレビ番組において、羊肉料理のジンギスカンを紹介する場面で、Dschinghis Khanの曲をBGMとして使うことが多く見られる。

1995年エディナ・ポップ、スティーヴ・ベンダー、レスリー・マンドキの3人が来日して『なるほど!ザ・ワールド』に出演した(日本公演を行っていないため、この日が初来日)。ヴォルフガング・ハイヒェルはスイスに、ヘンリエッテ・シュトローベルはマヨルカ島に移住して居たため未参加、ルイスは既に亡くなっていたため参加不可能。この時3人は『ジンギスカン』と『めざせモスクワ』を生で歌っている。また、インタビューの時レスリー・マンドキは「友人と会社を経営しています」と答えていたという(外部リンクを参照)。

また、2005年に『めざせモスクワ』が、いわゆる空耳ソングとしてインターネットコミュニティ上で流行となり、『もすかう』のタイトルで、多数のFlashムービーが制作された。なお『タモリ倶楽部』の空耳アワーではDschinghisKhan、moskau、Hadschi Halef Omar の他、DschinghisKhanでのエディナのソロ曲Komm doch heimなどの空耳が紹介された事がある。

北海道日本ハムファイターズのチャンステーマとしても使用されている

神村学園高等部の高校野球の応援曲としても使用されている







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