ジンギスカン (グループ)
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日本への影響
オリコン洋楽シングルチャートで1979年8月6日付から5週連続1位を獲得した。
ジンギスカンは、楽曲『ジンギスカン』の強烈なインパクトにより、1970年代後半からディスコなどのダンスシーンでアラベスクなどとともに人気を博した。また、それにより当時の竹の子族と呼ばれる若者にも多大な影響を与え、日本語訳を含む数多くのカバー曲も生まれた。また日本のテレビ番組において、羊肉料理のジンギスカンを紹介する場面で、Dschinghis Khanの曲をBGMとして使うことが多く見られる。
1995年エディナ・ポップ、スティーヴ・ベンダー、レスリー・マンドキの3人が来日して『なるほど!ザ・ワールド』に出演した(日本公演を行っていないため、この日が初来日)。ヴォルフガング・ハイヒェルはスイスに、ヘンリエッテ・シュトローベルはマヨルカ島に移住して居たため未参加、ルイスは既に亡くなっていたため参加不可能。この時3人は『ジンギスカン』と『めざせモスクワ』を生で歌っている。また、インタビューの時レスリー・マンドキは「友人と会社を経営しています」と答えていたという(外部リンクを参照)。
また、2005年に『めざせモスクワ』が、いわゆる空耳ソングとしてインターネットコミュニティ上で流行となり、『もすかう』のタイトルで、多数のFlashムービーが制作された。なお『タモリ倶楽部』の空耳アワーではDschinghisKhan、moskau、Hadschi Halef Omar の他、DschinghisKhanでのエディナのソロ曲Komm doch heimなどの空耳が紹介された事がある。
北海道日本ハムファイターズのチャンステーマとしても使用されている
神村学園高等部の高校野球の応援曲としても使用されている
- ^ a b 「公式サイト「JP / 足跡 "The Legacy Of Genghis Khan"」」
- ^ 「公式サイト「Dschinghis Khan zu Hause bei Jupiter Records」」に "25. März 2018" と記載
- ^ amazon.de 「We Love Football von Dschinghis Khan」より。分裂後、初の曲のリリース日が "6. April 2018" とある
- ^ 公認ファンサイト“Steppenwind”の記事"1986-heuteによる。
- ^ シュテファン側のジンギスカンの公式サイト
- ^ "Internationales Comeback von Dschinghis Khan",(musikwoche.de 11.01.06 / 15:59)
- ^ 「公式サイト「The Legacy Of Genghis Khan」」
- ^ a b c d e 公認ファンサイト“Steppenwind”の記述による。
- ^ Prince Igei KHan The Legacy,2018年のコンサートなど。(2020.4.20閲覧)
- ^ eltuyakhan_official,公式「The Legacy of Genghis Khan」,ザ・レガシー公式,2018年のコンサート)(2020.4.20閲覧)
- ^ Yassa Khan.
- ^ 公式「The Legacy of Genghis Khan」,ザ・レガシー公式,2018年のコンサート)(2020.4.20閲覧)
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