サリバン島の戦い 戦闘

サリバン島の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 02:41 UTC 版)

戦闘

6月28日朝、サリバン砦はムールトリー大佐が守り、その下に第2サウスカロライナ連隊と第4サウスカロライナ砲兵隊の1個中隊が付き、総勢は435名だった[18]。午前9時頃、イギリス艦船が攻撃開始の準備が全て整ったことを示す信号弾を発砲した[41]。その後1時間足らずの間に、9艦の戦闘艦が砦に向かう位置に移動した。パーカーはサンダーフレンドシップを砦から約1.5マイル (2.4 km) の位置に碇泊させ、アクティブブリストルエクスペリメントソールベイにはサリバン島にさらに近く約400ヤード (360 m) にまで接近させ、砦に舷側を向けて碇泊させた。これらの艦船は所定の位置に就いたときに砦への砲撃を始め、砦の守備隊も反撃を始めた[42]サンダーの砲弾の多くは砦かその近くに着弾したが、効果はほとんど無かった。ムールトリーに拠れば「砦の中央は沼地だったので砲弾を即座に飲み込み、砦と周辺の砂地に着弾したものは即座に埋められた[43]。」この戦闘におけるサンダーの役割はかなり短命でもあった。砦からかなり遠距離に碇泊しており、その射程を上げるために搭載していた迫撃砲と予備の火薬を積みすぎていたので、砲架が破壊されることになった[44]。ムールトリー砦の守備隊は火薬が不足していたので、大砲も慎重なペースで発砲させており、実際に数人の士官だけが照準を合わさせているだけだった。一時には4門の大砲を使って小さな一斉射撃をさせた。あるイギリス軍の観察者は「彼らの発砲は驚くほど効果があり」、さらに「緩りだが的確だった。彼らは大変冷静であり、大砲が過剰なくらい照準を合わせていなければ発砲しないように配慮した」と記していた[42]

クリントン将軍はサリバン島の北端に渡る動きを始めさせた。その部隊を運ぶ長艇の船隊は2隻のスループ艦に護衛されていたが、守備隊のウィリアム・トムソン大佐の部隊から砲撃された。ぶどう弾やライフル銃弾の集中砲火を浴びたので、クリントンはこの試みを中止させた[45]

正午頃、フリゲート艦のスフィンクスサイレーン、およびアクテオンが浅瀬を避けながら回り道をし、砦の主たる砲台を縦射できる位置を取ろうとした。ここは砦からの逃亡路も抑えるものだった[42]。しかし、この3艦ともに海図に載っていない砂州で座礁し、その過程の中でアクテオンスフィンクスの儀装が縺れ合ってしまった[44]。イギリス軍はスフィンクスサイレーンを何とか離礁させたが、アクテオンは水面下の砂州の方向に動いてしまい座礁したままとなった。その結果、3艦ともに意図した位置には到達できないことになり、ムールトリー大佐は運が離れなかったことを「これら3艦がその目的を果たしていたら、我々は大砲を手放さなければならないように縦射されていたことだろう」と語っていた[43]

ムールトリー砦からチャールストン港を見下ろす。南北戦争のときの写真

砦では、ムールトリーがその部下に、2艦のマン・オブ・ウォー、ブリストルエクスペリメントに砲火を集中させるよう命令し、それをことごとく命中させた。ブリストルに浴びせられた連射でその儀装の大半を破壊し、主マストとミズンマスト(後檣)を共に大破させた[46]。1発は後甲板を直撃し、パーカーの膝と太腿に軽傷を負わせた。この砲弾はパーカーの半ズボンの一部も引きちぎり、背中側が露出してしまった[47]。午後の半ばまでに、守備側は火薬が底を衝き、その砲撃は短時間中断された。しかし、リーが本土からさらに弾薬を送らせたので、守備隊はイギリス艦船への砲撃を再開した[48]。その日遅くリーが短時間砦を訪れ、ムールトリー大佐に「貴方がここでよくやっているのが分かる。私には用が無いだろうから町に戻ることにする」と伝えた[49]。パーカー提督は絶え間ない潜伏からの砲撃で砦の壁を破ろうとした。この戦術は砦の建設に使われたヤシ材のスポンジのような性質のために効果が無かった。構造物は振動して、砲弾で砕けるよりもそれを吸収した[50]。砲撃戦は午後の9時頃まで続いたが、暗闇のために戦いを休止せざるを得ず、イギリス艦隊はその場から退却した[51]

パーカーが損失を数えると、ブリストルの艦上で水兵40名が戦死し71名が負傷していた。ブリストルは船殻、帆桁、儀装に70発以上の砲弾を受けていた。エクスペリメントも水兵23名が戦死、56名が負傷し、大きな損傷を受けていた。アクティブソールベイからはそれぞれ15名の損失と報告された[2]。アメリカ側はその損失が戦死12名、負傷25名と報告された[1]。翌朝、イギリス軍は座礁したアクテオンを砂州から離礁させることができず、その艦が敵の手に落ちるのを防ぐために火を放った[52]。パトリオットの兵士が小さなボートで燃えているこの船に漕ぎ寄せ、そのイギリスの艦船で砲弾を放った後、艦内に残っていたものを持てるだけ略奪し、艦の火薬庫が爆発する直前に脱出した[51]


  1. ^ a b c Russell (2002), p. 220
  2. ^ a b c Morrill, p. 25
  3. ^ Stokely, pp. 8–9
  4. ^ Stokely, pp. 9–13
  5. ^ Russell (2000), p. 79
  6. ^ Wilson, p. 37
  7. ^ Russell (2000), p. 85
  8. ^ Russell (2002), pp. 92–98
  9. ^ Russell (2002), p. 90
  10. ^ a b Russell (2002), p. 96
  11. ^ Russell (2002), p. 98
  12. ^ Wilson, p. 36
  13. ^ Montgomery, pp. 54–55
  14. ^ a b c Ward, p. 670
  15. ^ Russell (2002), p. 160
  16. ^ a b c Russell (2000), p. 90
  17. ^ Russell (2002), p. 131
  18. ^ a b c Ward, p. 672
  19. ^ Russell (2002), p. 87
  20. ^ Wilson, p. 43
  21. ^ Russell (2002), p. 123
  22. ^ a b Stokely, p. 15
  23. ^ a b Ward, p. 673
  24. ^ Russell (2000), p. 88
  25. ^ Russell (2002), p. 199
  26. ^ Wilson, p. 48
  27. ^ Russell (2002), pp. 162,167
  28. ^ Stokely, pp. 17–18
  29. ^ Russell (2002), pp. 123,179–180
  30. ^ a b Wilson, p. 47
  31. ^ Morrill, p. 19
  32. ^ Russell (2002), p. 209
  33. ^ Russell (2000), p. 91
  34. ^ Russell (2002), pp. 184–185
  35. ^ Wilson, p. 45
  36. ^ Russell (2000), p. 92
  37. ^ Russell (2002), p. 212
  38. ^ Russell (2002), p. 187
  39. ^ Morrill, p. 22
  40. ^ Wilson, p. 46
  41. ^ Russell (2002), p. 204
  42. ^ a b c Ward, p. 674
  43. ^ a b Wilson, p. 49
  44. ^ a b Russell (2002), p. 209
  45. ^ Russell (2002), pp. 212–213
  46. ^ Russell (2002), p. 222
  47. ^ Wilson, p. 50
  48. ^ Russell (2002), p. 215
  49. ^ Wilson, p. 51
  50. ^ Russell (2002), p. 217
  51. ^ a b Wilson, p. 52
  52. ^ Russell (2002), p. 223
  53. ^ Wilson, p. 55
  54. ^ a b Wilson, p.54
  55. ^ Wilson, p. 56
  56. ^ Stokely, p. 7
  57. ^ Stokely, pp. 18–43
  58. ^ Stokely, p. 72
  59. ^ National Park Service: Fort Sumter National Monument”. National Park Service. 2010年11月1日閲覧。





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