ケヴィン・ゴドレイ ケヴィン・ゴドレイの概要

ケヴィン・ゴドレイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 08:23 UTC 版)

ケヴィン・ゴドレイ
Kevin Godley
10ccでの演奏中(1976年
基本情報
出生名 Kevin Michael Godley
生誕 1945年10月7日
出身地 イングランドランカシャー、プレストウィッチ
ジャンル ロック (音楽)
職業 ミュージシャン、ミュージック・ビデオ監督
担当楽器 ボーカルドラムパーカッションキーボード
活動期間 1960年代後期 -
共同作業者 10ccホットレッグスゴドレイ&クレーム、GG/06

経歴・概要

1960年頃幼なじみのロル・クレームと共に"The Sabres"というビートバンドに参加、地元の同胞のユダヤ人集会所などで演奏活動を行う。1965年ケヴィンは同郷でおなじユダヤ系のグレアム・グールドマンのバンド"The Mockingbirds"に参加しレコードデビュー。しかし5枚のシングルを発表するもヒットを生み出せずにバンドは解散。解散後ケヴィンは再びロルとコンビを組む。グレアムのマネージメントで二人は1967年"Yellow Bellow Room Boom"名義でシングルをリリース。その後グレアムが元マインドベンダーズのエリック・スチュワートとレコーディング・スタジオ"ストロベリースタジオ"の共同出資者となったことから、スタジオミュージシャンとして出入りを始め、やがてエリック、グレアム、ロル、ケヴィンの4人でバンド活動を開始する。

1969年ヤードバーズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーの設立したレーベル "Marmalade"から、"Frabjoy & Runcible Spoon"名義でシングルをリリース。アルバムも企画されるがレーベルの資金繰り悪化に伴いキャンセルとなる。1970年にはロル、エリック、ケヴィンの3人でレコーディングした「ネアンデルタール・マン」が"ホットレッグス"名義でリリース。全世界で200万枚以上を売り上げるヒットを記録するも以降不発に終わる。その後も4人は"Doctor Father""Fighter Squadron""Amazon Trust""The New Wave Band"などとバンド名を変えながらシングルを次々とリリースし次のヒットを狙っていく。その前後スタジオミュージシャンとして、ニール・セダカ、オハイオ・エクスプレス、ラマセスなど数多くのアーティストのレコーディングを行った。

1972年4人は、ジョナサン・キングのUKレコードから"10cc"名義でシングル「ドナ」をリリース。これが全英2位の大ヒットとなり以降バンドの活動は10cc名義が中心となっていく(74年以降は10ccに固定)。3枚目のシングル「ラバー・ブレッツ」で全英チャート1位を獲得、次々とヒットを飛ばす。1975年にマーキュリー・レコードに移籍、「アイム・ノット・イン・ラヴ」等を発表するも、1976年に音楽性の違いから(公式にはギターアタッチメント"ギズモ"の開発のため)10ccを脱退。以降ゴドレイ&クレームとしてレコードをリリースする。

1980年自分たちのシングル曲「ニューヨークのイギリス人」でミュージック・ビデオを初監督。その後ポリスデュラン・デュラン他のアーティスト達のビデオを手がけ、高い評価を受ける。ハービー・ハンコックの「ロック・イット」では1983年のMusic Week AwardsでBritish Music Promo Videosの"Top Director"を、1984年MTV Video Music Awardsで"Best Concept Video"を受賞。1985年のMTV Video Music Awardsでは"Video Vangard Award"を受賞した。またCM演出も手がけ始め、カンヌ国際広告祭では銀賞を受賞。1981年には画集"The Fun Starts Here - Outakes from A Rock Memoir"を出版するなどマルチアーティストとしての評価を固める。一方音楽活動では1985年のシングル「クライ」がプロモビデオの高評価も伴い彼らの代表曲となった。

1988年にコンビを解消。ケヴィンはその後もミュージック・ビデオの監督を続け、U2ポール・マッカートニーらの作品を手がけている。また反アパルトヘイトキャンペーンソング「サン・シティ」のビデオ制作をきっかけにチャリティー活動に目覚め、その後「ファッションエイド」「バンドエイドII」など様々なプロジェクトに参加するようになる。1990年には自らが企画した環境問題チャリティアルバム「ワン・ワールド・ワン・ヴォイス」を発表。50分強もある1曲を制作するために世界26ヶ所のスタジオで292名以上のミュージシャンが参加。この映像版は、1990年5月20日~26日に放送されたスペシャル・プログラム「ワン・ワールド・シンフォニー」の一環としてイギリスBBCを始め、NHKほか各国のTVで放送された。

2006年7月からグレアムと新ユニット"GG/06"を結成。一緒に作曲、レコーディングした新曲をダウンロード販売で発表している。2007年3月にはグレアムのライブにゲスト参加、10cc時代の曲を含む2曲でリードヴォーカルを担当した。

2008年にはエイドリアン・ディーヴォイと共同執筆したサスペンス・コメディー長編映画"Where The Treetops Glisten"がクランクイン直前まで進むも、制作中止に終わっている。

ディスコグラフィー

アルバム(オリジナル/ライヴ)

ホットレッグス

  • シンクス~スクール・スティンクス - Thinks: School Stinks (1971)

10cc

  • 10cc - 10cc (1972)
  • シート・ミュージック - Sheet Music (1974)
  • オリジナル・サウンドトラックThe Original Soundtrack (1975)
  • びっくり電話:ハウ・デア・ユー - How Dare You ! (1976)
  • キング・ビスケット・ライヴ - In Concert (1995) ※1975年11月26日米国サンタモニカでのコンサートを収録

ゴドレイ&クレーム

  • ギズモ・ファンタジア - Consequences (1977)
  • L - L (1978)
  • ミュージック・フロム・ギズモ・ファンタジア - Music From Consequences (1979)
  • フリーズ・フレーム - Freeze Frame (1980)
  • イズミズム - Ismism (1981)
  • バーズ・オブ・プレイ - Birds Of Prey (1983)
  • ヒストリー・ミックス Vol.1 - The History Mix Volume 1 (1985)
  • グッドバイ・ブルー・スカイ - Goodbye Blue Sky (1988)



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