グーピル商会 グーピル商会の概要

グーピル商会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 01:32 UTC 版)

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起源

もとになった店は、1829年にアドルフ・グーピルによって設立されたが、1850年に再編して「グーピル商会」となった[1]。経営陣(パートナー)と在任期間は次のとおり。

  • アドルフ・グーピル 1850年-1884年
  • アルフレッド・マング 1850年-1856年
  • レオン・グーピル 1854年-1855年
  • レオン・ブッソ 1856年-1884年
  • フィンセント・ファン・ゴッホ 1861年-1872年(画家フィンセント・ファン・ゴッホの伯父)
  • アルベール・グーピル 1872年-1884年
  • レネ・ヴァラドン 1878年-1884年

1861年までは、商会では版画などの印刷物の仕入れ、販売、編集を行っていた。しかし、安価な美術品への中産階級の需要に応えることを目的に、パリ郊外の工房で熟練技術者を雇い、エングレービングエッチング、写真技術等による絵画の大量複製を行うようになった。グーピル商会の複製を通じて、ジャン=レオン・ジェロームといった画家は一躍知られるようになった[2]。画家フィンセントの弟テオドルス・ファン・ゴッホが入社した頃、業務は絵画の取引に広がり、1872年には写真ヘリオグラフなどの画像技術にも進出した。

フィンセント・ファン・ゴッホ(画家の伯父)は、1872年病気で経営陣から引退したが、1878年までは出資持分を保有した。その後をアドルフ・グーピルの息子アルベール・グーピルが継いだ。1878年、フィンセント・ファン・ゴッホの出資持分が引き揚げられ、同じ年、レネ・ヴァラドンが加入した。

19世紀と20世紀の世界的な存在

パリのシャプタール通り店(1860年頃)。
  • パリ本店
    • シャプタール通り店(事務所及び店舗)
    • モンマルトル大通り店
      最初にアドルフ・グーピルが商売を始めた場所であり、事務所がシャプタール通り店に移ってからは純粋な店舗機能のみとなった。1881年から、テオドルス・ファン・ゴッホがこの店を任されている。
    • オペラ広場店
      オールド・マスターの画家たちの作品及び当時のサロンの作品を展示していた、メインの販売ルーム。
  • ニューヨーク支店(ブロードウェイ
    レオン・グーピルが1846年に開いた。
  • ハーグ支店
    フィンセント・ファン・ゴッホ(画家の伯父)により1830年代にスパイ通りに開かれ、1861年にグーピル商会に合併された際にプラーツ通りに移転した。
  • ブリュッセル支店
    1865年、H・W・ファン・ゴッホによって開かれ、彼の引退後はV・シュミットにより経営された。
  • ロンドン支店
    アーネスト・ガンバートによりサウサンプトン通りに開設され、1875年、グーピル商会がホロウェイ&サンズ社を買収した際にベドフォード通りに移転した[3]
  • ベルリン支店

画家ゴッホとの関わり

画家ゴッホの伯父であるフィンセント・ファン・ゴッホ(画家ゴッホから「セント伯父」と呼ばれる)は、1858年にパリに出てシャプタール通りのグーピル商会本店に住み込んだ。1861年、商会の経営陣に加わったが、健康悪化により1872年に引退し、夏はオランダ・ブレダのプリンセンハーフェ、冬は南仏のマントンで暮らすようになった。6年後、彼は出資を引き揚げた。

「セント伯父」には子供がいなかったが、甥たちが後を継いでくれることを期待して、フィンセント(後の画家)を1869年に、その弟テオドルス(テオ)を1873年に入社させた。1876年、甥フィンセントがレオン・ブッソーから解雇されると、株主間のバランスが崩れ、結果としてテオにチャンスが巡ってきた。テオは1878年のパリ万国博覧会のためパリに呼ばれ、そのままパリに残ることになった。1881年から1890年にかけて、テオはモンマルトル通り店の経営を任され、ジャン=バティスト・カミーユ・コローシャルル=フランソワ・ドービニーバルビゾン派を含む1000点近くの絵を売り上げた。クロード・モネカミーユ・ピサロ印象派の単独展を開催したほか、エドガー・ドガポール・ゴーギャンにも注目してこれらの画家の絵を販売した[4]

甥フィンセントは、商会を去った後、画家となることを決意したが、その時絵の勉強に使ったのが、シャルル・バルグがジェロームと協力してグーピル商会から1868年から1873年に出版した『デッサン教本』であった。


  1. ^ CHRONOLOGIE des SOCIETES”. 2013年3月15日閲覧。
  2. ^ Ken Johnson (2001年4月20日). “A Return to the Junction Of Art and Commerce”. New York Times. http://www.nytimes.com/2001/04/20/arts/art-review-a-return-to-the-junction-of-art-and-commerce.html 2013年3月15日閲覧。 
  3. ^ Martin Bailey (1992). Van Gogh in England. London: Barbican Art Gallery. p. 11 
  4. ^ “ART REVIEW; A Return to the Junction Of Art and Commerce”. New York Times. (1999年6月13日). http://www.nytimes.com/1999/06/13/travel/travel-advisory-amsterdam-s-van-gogh-museum-reopens.html 2013年3月16日閲覧。 


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