クラウディオ・タファレル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 09:24 UTC 版)
クラブ経歴
1984年、SCインテルナシオナルでデビュー。
1990年にパルマACへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[6]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、3人しか無い外国人枠を、どうしてわざわざGKに使うのか、獲得を疑問視する声も多かったが、この年パルマの全68試合全てに出場[7]、コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。1991-92シーズン、チームは8本のPKを献上したが、このうちの半分をストップしてみせた[2]。1992-93シーズン、新たにアスプリージャが加入すると、ブローリン、グルンが殆どの試合で起用され、外国人枠の問題で出場機会を6試合にまで減らした[7]。1993-94シーズンはACレッジャーナに移籍、レギュラーとしてプレーした[7]。
ワールドカップ後は暫く移籍交渉がまとまらず、フリーであったが[2]、1995年にはアトレチコ・ミネイロへ加入、1998年にはガラタサライSKへ移籍、UEFAカップの優勝などに貢献した[7]。
2001年にはジャンルイジ・ブッフォンが移籍した事によりパルマへ復帰し[7]、セバスティアン・フレイに次ぐ第2GKを務めた[7]。このシーズン、リーグ戦では6試合の出場に留まったが、コッパ・イタリアでは、決勝のユヴェントス戦を含め、全8試合に出場し、優勝を果たした[7]。翌2002-03シーズン終了後に現役を引退した[7]。
現役引退後は古巣ガラタサライのゴールキーパーコーチに就任。2014年11月、チェーザレ・プランデッリの解任を受け、ガラタサライの暫定監督を務めた[8]。現在はGKコーチを務めている[4]
- ^ a b “Claudio Andre Mergen Taffarel - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b c d e “タファレル:セナのためにワールドカップを制したことを誇りに思う”. FIFA (2022年7月22日). 2023年6月20日閲覧。
- ^ “Le grandi trattative del Parma - 1990, lo sconosciuto Brolin strega Scala al Mondiale italiano”. Tutto Mercato (2020年5月13日). 2023年9月27日閲覧。
- ^ a b c d “「恐れ多い」長友、運転手が元ブラジル代表レジェンドだと明かす”. gekisaca
- ^ “リヴァプール、ブラジル代表GKコーチのタファレルと兼任契約”. Qoly
- ^ footballista 2009/8/19号 37p
- ^ a b c d e f g h “Taffarel, il portiere della Reggiana che vinse i Mondiali di Usa '94 col Brasile”. GOAL (2023年5月8日). 2023年8月18日閲覧。
- ^ “ガラタサライがプランデッリ解任を決断”. Goal
- ^ “長友佑都、あのレジェンドに手料理をご馳走になる!「男気の塊」と絶賛”. Qoly
固有名詞の分類
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