カンプス・マルティウス 近代

カンプス・マルティウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/29 15:19 UTC 版)

近代

ルネサンス以後、ローマの他の地域と同様、カンプス・マルティウスはあまり変化しなかった。大きな建築プロジェクトもなく、人口も減少に転じた。1870年、ローマがイタリア王国の首都に定められると人口が再び増加し始めた。以前にも増してカンプス・マルティウス地区は人が増え、テヴェレ川の氾濫を防ぐために堤防が築かれた。しかし高い堤防を築いたため、リペッタの船着場は事実上使えなくなり、川まで続いていた小さな通りも遮られ、川縁に建っていた建物も取り壊された。

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