オルレアン包囲戦 背景

オルレアン包囲戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 08:33 UTC 版)

背景

百年戦争

オルレアン包囲戦は百年戦争中に起き、イングランドとフランスをそれぞれ支配していた王家間で、フランスの支配権を争った戦いである。この争いはイングランド王エドワード3世が、フランスの王位を主張した1337年に始まった。この主張はウィリアム1世から継承された主張が元になっており、政略結婚により強化されていた。

1415年のアジャンクールの戦いの決定的な勝利により、イングランドが優勢となり、北部フランスの広範囲を占領した。1420年トロワ条約により、イングランドのヘンリー5世がフランス摂政となった。この条約によりヘンリー5世は、当時フランス王であったシャルル6世の娘のカトリーヌ(キャサリン)と結婚し、カトリーヌとの間に生まれたヘンリー6世がシャルル6世の死去に伴いフランス王位を継承した。シャルル6世の息子かつカトリーヌの弟で、条約前はフランス王位の法定推定相続人であったシャルル王太子(後のシャルル7世)はフランス王位を継承しなかった。

地理

オルレアンはフランス北中部のロワール川沿いの町である。包囲戦の際、オルレアンはフランス王位に忠誠を誓っていた都市の中で、最北に位置していた。イングランドとその同盟国であったブルゴーニュ公国は、パリを含めて、フランス北部の残りの地域を支配していた。主要河川沿いに位置していたオルレアンの場所は、イングランドにとってフランス中央部へ軍事行動をするための最後の障害となっていた。イングランドは既にフランスの南西部の海岸地帯も支配していた。

領主不在のオルレアン

オルレアンは15世紀初期の政治において、オルレアン公領の首府として、シンボル的な重要性を持っていた。シャルル6世の甥のオルレアン公シャルルは、アルマニャック派として知られた政治的党派の長であり、トロワ条約を拒絶し、フランス王として戴冠していないシャルル王太子の主張を支持していた。この党派は2世代に渡って存在し、リーダーであったオルレアン公は数少ないアジャンクールの戦いの戦闘参加者の1人であり、戦後も14年間イングランドの囚人の状態であった。

騎士道の慣習として、領主が捕虜になり不在の所領を攻撃することは禁じられ、侵略してきた軍隊に対して、戦闘すること無しに降伏した都市は、新しい領主から寛大な処遇を受けることとなっており、逆に抵抗した都市は、手荒い占領を受けることとなっていた。このような状況下において、集団処刑が行われていた事例は明らかになっていない。中世後期の論理によれば、オルレアンの町は戦闘をエスカレートさせ、イングランド軍に暴力行為をさせたため、君主が征服されることは、市民が厳しい報復にさらされる結果となることを意味していた。オルレアンのアルマニャック派との結びつきのため、町が陥落した場合、報復を逃れることはあり得なかった[2]


  1. ^ a b c d Paul Charpentier et Charles Cuissard, Journal du siège d'Orléans, 1428-1429, H. Herluison, 1896. (p. 410)
  2. ^ 清水、P155 - P157。
  3. ^ Ramsay (1892: p.375-76)
  4. ^ ペルヌー、P34。
  5. ^ a b c d Ramsay (1892: p.386)
  6. ^ Beaucourt (1882: p.144-68)
  7. ^ Ramsay (1892: p.380)
  8. ^ ペルヌー、P330 - P331、清水、P158 - P159。
  9. ^ a b c d Ramsay (1892: p.381)
  10. ^ a b c Ramsay (1892: p.382)
  11. ^ Ramsay (1892: p.398)
  12. ^ 清水、P125。
  13. ^ Cousinot's Pucelle (p.257)
  14. ^ 堀越、P27、ペルヌー、P36 - P38、清水、P159 - P160。
  15. ^ a b c d e Ramsay (1892: p.383)
  16. ^ Cousinot's Pucelle (p.261)
  17. ^ Ramsey, p.383-84
  18. ^ 堀越、P27 - P32、大谷、P30 - P31、ペルヌー、P331 - P332、清水、P162 - P165。
  19. ^ a b Ramsay (1892: p.384)
  20. ^ Cousinot's Pucelle (p.265)
  21. ^ 堀越、P35 - P38、清水、P165 - P168。
  22. ^ Ramsay (1892: p.387)
  23. ^ Ramsay (1892: p.386n4.)
  24. ^ Ramsay (1892:p.385-86)
  25. ^ Cousinot's Pucelle (p.266)
  26. ^ Cousinot's Pucelle (p.269)
  27. ^ Ramsay (1892: p.386-87)
  28. ^ 堀越、P38 - P46、大谷、P31 - P32、ペルヌー、P40、P376 - P382、清水、P168 - P176。
  29. ^ Cousinot's Pucelle (p.272). For contemporary testimonials of the meetings with Baudricourt given at Joan's trial, see Quicherat's Proces, v.1 p.53, v.2 p.436, p.456)
  30. ^ 堀越、P122 - P129、大谷、P32、ペルヌー、P48 - P55、清水、P127 - P135。
  31. ^ Domrémy was in the Duchy of Bar, right on the edge of the Duchy of Lorraine.
  32. ^ Ramsay (1892: p.390); Beaucourt (1882: v.2, p.204-9)
  33. ^ 堀越、P143 - P147、大谷、P34 - P49、ペルヌー、P57 - P63、P66 - P73、P80 - P84、清水、P135 - P152。
  34. ^ For the letters, see Cousinot's Pucelle (p.281)
  35. ^ 堀越、P46 - P48、P147 - P148、大谷、P49 - P57、ペルヌー、P84 - P89、清水、P153 - P154、P176 - P179。
  36. ^ 堀越、P148 - P149、大谷、P57 - P61、ペルヌー、P89 - P92、清水、P179 - P181。
  37. ^ 追跡者 ザ・プロファイラー、2014年10月8日放送分。
  38. ^ Cousinot's Pucelle (p.288)
  39. ^ 堀越、P149、大谷、P61 - P63、ペルヌー、P92 - P93、清水、P181 - P182。
  40. ^ Ramsay (1892: p.393). This is according to Cousinot's Pucelle (p.289-90). However, Jean Pasquerel (in Quicherat, 1845: v.3, p.107) differs, and seems to suggest the suspension for Ascension Day was originally Joan's idea.
  41. ^ Cousinot's Pucelle, p.290-91; Ramsay (1892: p.394)
  42. ^ 大谷、P63 - P66、ペルヌー、P93 - P97、清水、P182 - P185。
  43. ^ Cousinot's Pucelle (p.291-92)
  44. ^ Cousinot's Pucelle (p.293)
  45. ^ Quicherat Proces (1845: v.3, p.109). Cousinot's Pucelle (p.293)では、この出来事を2つに分け、ジャンヌは早朝の攻撃で負傷し、回復後に午後の攻撃を開始する決定をしたと報告している
  46. ^ Cousinot's Pucelle (p.294)
  47. ^ 堀越、P149 - P151、大谷、P66 - P73、ペルヌー、P97 - P100、清水、P185 - P187。
  48. ^ Cousinot's Pucelle (p.296)
  49. ^ 堀越、P151、大谷、P73 - P75、ペルヌー、P100 - P105、清水、P187 - P191。
  50. ^ 大谷、P76 - P79、ペルヌー、P106 - P116、清水、P193 - P197。
  51. ^ 堀越、P152 - P153、大谷、P79 - P91、ペルヌー、P116 - P124、清水、P197 - P203。
  52. ^ 堀越、P153 - P155、大谷、P91 - P100、P104 - P113、ペルヌー、P124 - P130、清水、P203 - P214。





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