オペレーション・ベビーリフト 航空事故

オペレーション・ベビーリフト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 10:03 UTC 版)

航空事故

1975年アメリカ空軍C-5サイゴン事故
同型機のC-5A
出来事の概要
日付 1975年4月4日
概要 機体整備不良による操縦系統破断
現場 ベトナム共和国サイゴン タンソンニャット基地付近
乗客数 285
乗員数 29
負傷者数 不明
死者数 138
生存者数 176
機種 ロッキードC-5ギャラクシー
運用者 アメリカ空軍
機体記号 68-0218
出発地 タンソンニャット基地
目的地 クラーク空軍基地
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事故の概略

1975年4月4日、この作戦の第1便として、孤児を含む乗員乗客328名がロッキードC-5ギャラクシー(機体番号68-0218)に乗り込み、午後4時すぎにサイゴンのタンソンニャット基地を離陸した。地上からの攻撃を避けるために、離陸後は通常より高い上昇率で上昇した。生存者の証言によると、機内では乗員と孤児が楽しく話していたという。

離陸から数分後、爆発音とともに機体は大きく揺れ、急減圧が発生した。機体後部にいた人は、機体に開いた穴に驚いたという。操縦士は空港への着陸を試みたが、機体のコントロールが利かないまま降下を始めた。機長がエンジンの推力を上げると降下は止まったが、今度は急上昇をはじめて機首の角度が90度まで上がった。このため、機長は推力を下げることで機首を下げて機体を安定させ、高度10,000フィートで水平飛行になった。操縦士たちは空港へ戻るためUターンを試みたが、再び機体はコントロールを失い急降下を始めた。

機長は水田への不時着を試みたが、機体は500 km/hという猛スピードで後部車輪を衝突させてバウンドした。再着陸を試みた機長は目の前に川があることに気づいて推力を増したが、そのまま機体後部から水田に衝突した。衝突の瞬間、機体はコックピット・機体中央部・後部・主翼に分解しながら地面を滑走した。機体後部や主翼は滑走中に粉砕され、コックピット部分は衝突地点から転がりながら停止した。

機体中央部2階の客室は被害が少なく、乗員や幼児のほとんどは生還した。しかし、機体中央部1階の貨物室にいた乗員や子どもは、不時着時の衝撃によって即死した。コックピットの中にいた操縦士や機関士は全員が生存した。乗客乗員314人中、138人が死亡した。生存者は176人だった。

事故原因

サイゴンが陥落し、南ベトナムの親米政権が崩壊する直前の事故であったため、事故原因の調査は困難を極めた。

調査の結果、機体後部の貨物用ドアがドアロックの不良によって吹き飛び、操縦系統が破壊されてコントロールが利かなくなったことがわかった。

ベトナム戦争末期、部品不足に悩まされていた空軍は、使える部品を取り外して他の機体に流用する「共食い整備」でメンテナンスを行っていた。この事故の場合、ドアのロック部分を調節するタイロッドという部分が一時的に他のC-5に回され、その後再整備にて戻されていた。この際に適切に装着されていなかったたため、事故機のドアのロック部分14箇所の内、3箇所のロックが完全ではなかった。そのため機体が与圧されると、ドアのロックは持ちこたえられなくなり、外れてしまった。それと同時に尾部の一部が破壊されたことで、水平尾翼昇降舵油圧が抜け、上昇や降下などの現象が起きたのであった。








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