エフェソの信徒への手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 07:40 UTC 版)
成立時期・場所・目的
もしパウロが著者であるとするなら、パウロが最初にローマで投獄された時期に書かれたということになる。すなわち紀元62年ごろ、パウロがエフェソの指導者たちとミレトスで別れてから4年後のことになる。最初に触れたように『コロサイの信徒への手紙』などと異なり、『エフェソ書』は護教的(正しい教えを守ること)な目的で書かれたものではない。『エフェソ書』は(あるいは小アジアの複数の教会に送られた可能性もあるが)パウロの教えのまとめ的なものである。主なテーマはキリストに従うものの共同体をつくることが父なる神の意志に沿うものだということである。
ローマ書ではパウロはイエスの義による義化という視点から描いているが、『エフェソ書』ではキリストとの一致という視点が重視されている。
『コロサイの信徒への手紙』との関連
『エフェソ書』のスタイルやテーマは『コロサイの信徒への手紙』とよく似ている。『エフェソ書』とコロサイ書の並行箇所は以下のようなものである。
- エフェソ1:7とコロサイ1:14
- エフェソ1:10とコロサイ1:20
- エフェソ3:2とコロサイ1:25
- エフェソ5:19とコロサイ3:16
- エフェソ6:22とコロサイ4:8
- エフェソ1:19-2:5とコロサイ2:12-13
- エフェソ4:2-4とコロサイ3:12-15
- エフェソ4:16とコロサイ2:19
- エフェソ4:32とコロサイ3:13
- エフェソ4:22-24とコロサイ3:9-10
- エフェソ5:6-8とコロサイ3:6-8
- エフェソ5:15-16とコロサイ4:5
- エフェソ6:19-20とコロサイ4:3-4
- エフェソ5:22-6:9とコロサイ3:18-4:1
この並行箇所については以下のような説明がされてきた。まず、もし本書簡がパウロの手によるものなら『コロサイ書』と同時期にかかれたものである。初めにコロサイの共同体の特別な問題を扱った書簡を書き、次にエフェソを初めとするいくつかの共同体宛てにもっと一般化した内容の手紙を書いたのだろうということである。一方もしこの書簡の書き手がパウロでないとすれば、単にパウロ的な手紙を書くために『コロサイ書』を参考にして書いたのだろうということになる。
近年ではコロサイの信徒への手紙も擬似書簡であるとする説が多く、コロサイ書の著者はパウロの弟子であったフィレモンでエフェソ書の著者はパウロの「生んだ子」オネシモであるとすると、かつての主人でありパトロヌスであったフィレモンが書いたコロサイ書を手元にして書かれたと考えるのは自然である[5]。
- ^ 口語訳
- ^ 文語訳、大正改訳
- ^ 新共同訳
- ^ パウロとフィレモンとオネシモ37|クリスチャントゥデイ
- ^ パウロとフィレモンとオネシモ33|クリスチャントゥデイ
- 1 エフェソの信徒への手紙とは
- 2 エフェソの信徒への手紙の概要
- 3 執筆の経緯
- 4 成立時期・場所・目的
- 5 関連項目
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