エカテリーナ・ガモワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 05:44 UTC 版)
来歴
1980年10月17日、ロシアチェリャビンスクで体重3950gの大きな赤ん坊として生まれる。父親はガモワがまだ小さい頃に家から出て行ってしまったため、母に女手ひとつで育てられた[2]。 6歳で身長155cm、8歳で170cmに達し、友達には背の高さをからかわれていた。靴や服もサイズに合うものがなく苦労した。
8歳の時、地元のクラブチームでバレーボールを始める。その時指導をしたのは伯母のLiobov Gamovaであった。1998年、ロシアバレーボールチームのウラロチカ・エカテリンブルクに入団。1999年、ロシアナショナルチームに選出される。当初はアルタモノワ、ゴーディナ、シャチコワなどの活躍の陰に隠れた存在であったが、2000年ごろから徐々に頭角を現しチームの主力として活躍し、2000年シドニーオリンピックで銀メダルを獲得。
2001年のグラチャンで銀メダルを獲得し、ベストスコアラー賞とベストブロッカー賞の2冠に輝いた。2002年の世界選手権で銅メダルを獲得した。2003年のワールドグランプリではベストスコアラー賞に輝いた。
2004年アテネオリンピック出場し銀メダルを獲得。同大会のベストスコアラーとベストブロッカー賞を受賞した。同年、ディナモ・モスクワに移籍し、同チームの主将を務める。2005-06年のロシアリーグでチャンピオンに輝いた。
2006年世界選手権に出場し優勝、自身初の3大大会での優勝となった。その後は目立った成績を残せなかったが、2010年世界選手権にて決勝のブラジル戦でフルセットの末、勝利し大会2連覇を果たすと、自身もMVPに選ばれた。
2012年、ロンドン五輪では4大会連続出場したが、準々決勝でブラジルに敗れてメダルを逃した。その後は代表メンバーからは外れている。
2014年3月の欧州チャンピオンズリーグで所属するディナモ・カザンを初優勝へ導き、自身も大会MVPに選ばれた。同年5月の世界クラブ選手権でも優勝を果たし、MVPを受賞した。
2016年、ガモワはロシア代表からもクラブからも正式に引退を表明した。[3]
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