イグナツィ・パデレフスキ
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受勲
- レジオン・ドヌールグランクロワ
- 大英帝国勲章ナイト・グランド・クロス
- 白鷲勲章
- 軍功勲章銀十字章
- ポーランド復興勲章大十字勲章
- 名誉博士号: リヴィウ大学(1912年)、クラクフ大学(1919年)、ポズナニ大学(1924年)、ほかにもアメリカ合衆国のいくつかの大学から。
- ハリウッドのグローマンズ・チャイニーズ・シアターにあるハリウッド・ウォーク・オブ・フェームには作曲家としてのパデレフスキの銘板がある。
日本の受容
瀧廉太郎は、パデレフスキの演奏をライブで聴いた初めての日本人らしい。1901年11月17日鈴木毅一宛書簡には「先日 当今欧州にて非常に有名なるピヤニストPaderewsky(パデレウスキー)を聴き申候 さすが上手なりされど驚く程の音楽者ならず Chopinをひく事一番上手なり Beethovenをひく事まづし大ピヤニストでハなく良きピヤニストなり」とあった。滝廉太郎の「Beethovenをひく事まづし」と記された感想から36年後、ベートーヴェンの月光ソナタを放送リサイタルで披露している[9]。放送リサイタルでは、パデレフスキが自分で用意した即興演奏の後に、月光ソナタを続けて弾いている。
野村あらえびすは「演奏は巨人的な見事さであったが、作曲は華麗で外面的であまり良いものはない。」と評している[10]。
中村紘子の著書『ピアニストという蛮族がいる』では、晩年のパデレフスキの演奏がダメになったという記述が見られる。1936年に白黒フィルムでパデレフスキの演奏が遺されているが、指の速度が確かに落ちていても風格のあるアゴーギクや美しいタッチは衰えはない。その演奏後は全ての聴衆がスタンディングで拍手を捧げており、彼の人気と名声の大きさが窺える。ただし、この映像は映画『Moonlight Sonata』(邦題『月光の曲』、(1937年)のワンシーンとして撮影されたものなので、観客の反応などは演出されたものである可能性は高い。なお、宮城道雄は日本封切時にこの映画に接しており、随筆[11]の中でパデレフスキの演奏を絶賛している。
一方、政治家としてのパデレフスキの評価は、丸山眞男が平凡社『政治学事典』の中で、「パデレフスキーのように、なんら政治的資質と関係のない声望…だけでリーダーシップの地位にのしあがることもおこりうる」として挙げているが、ただし、ここでの丸山はパデレフスキの一連の政治キャリアを知ってか知らずか完全に無視しており、まったく言及していない。パデレフスキはSP録音時の伝聞情報(よくあるものに「作曲とピアノどちらも大したことがなかった」「三つしかなかったピアノ・コンチェルトを一日10時間以上練習して2桁にした」「晩年の演奏はだめだった」「校訂も主観が多い」など)が多くの日本人に広まってしまい、パデレフスキ研究に基づいた正確な事実関係が、現代の日本にも広まっているとは言い難い。
パデレフスキのSP録音は日本でも当時から入手でき、プロアマ問わず高い人気を誇っていた。
2016年、日本パデレフスキ協会が設立された。
- ^ Mistrz i jego nauczyciel.Profesor Gustaw Roguski (1839-1921) – nauczyciel Ignacego Jana Paderewskiego
- ^ http://www.psmkonin.pl/kalendarium.html
- ^ 『影絵 : 大演奏家の生活と芸術』(大田黒元雄著、第一書房、1925年刊)p.65。ただし、ここでは「ピアノをヤノタに就いて習ひました。」とだけ記述されていることもあり、後年の文献の中には娘のナタリア・ヤノータ(1856-1932)との混同が見られる(『クラシック 続・不滅の巨匠たち 忘れえぬ名演奏家96人』 音楽之友社、1994年12月刊「イグナツ・ヤン・パデレフスキー」p.112-113の項目、『Women in World History: Vol.8(Jab-Kyt)』(2000年刊)の「Janotha, Natalia (1856-1932)」p.89の項目など)。同様の記述は『Paderewski and his art』(Henry Theophilus Finck、1895年刊)の「He was twelve years old when he went to Warsaw, where at last he was able to hear good music and to take lessons, Janotha being his teacher on the piano」(p.7-8)など海外の文献にも見られる。なお、パデレフスキはナタリア・ヤノータに「ポーランド舞曲(Danses Polonaises Op.5)」を献呈している。
- ^ Biblioteka Narodowa. “Ignacy Jan Paderewski - biography”. BN. 2012年6月12日閲覧。
- ^ 『パデレフスキ自伝』第2章より。
- ^ *月光の曲 - KINENOTE
- ^ 映画・独裁者でチャップリンがこのメロディーを弾くシーンが有名。
- ^ “出版社詳細”. www.panamusica.com. www.panamusica.com. 2021年4月25日閲覧。
- ^ “www.youtube.com”. www.youtube.com. 2020年2月24日閲覧。
- ^ 『楽聖物語』パデレフスキーの項目より。
- ^ 「老域に入つて衰へず」(『夢乃姿』那珂書店、1941年、p.214-218)
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