アルフレート・マイヤー=ヴァルデック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/23 15:56 UTC 版)
経歴
ロシア帝国サンクトペテルブルクに生まれる。大佐当時の1911年8月19日、オスカー・フォン・トルッペルの後任として膠州湾租借地の総督となる。
1914年8月に第一次世界大戦が勃発し、日本がドイツ帝国に宣戦すると、本国に対し、最後まで義務を守ることを誓う旨を打電した。青島の戦いでは一週間にわたり防戦に努めるが、弾薬が尽きたことを理由に11月7日に日英連合軍に降伏した。これに対して、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は守備軍の善戦を嘉する勅を発し、マイヤー=ヴァルデックに1級鉄十字勲章を授与した。日本軍の捕虜となり、福岡俘虜収容所、後に習志野俘虜収容所に収容された。同収容所では、経済的制限を除けばほとんど無制限な行動の自由が与えられた。戦後の1920年、まだ収容所にあったマイヤー=ヴァルデックは遡及して海軍中将に昇進した。
バイエルン州バート・キッシンゲンで死去した。
外部リンク
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固有名詞の分類
第一次世界大戦期ドイツの軍人 |
エーリヒ・レーダー フェリックス・シュタイナー アルフレート・マイヤー=ヴァルデック エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキー マルティン・ボルマン |
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