Ciné
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Ciné(シネ、CINÉ)は、1929年2月に創刊された日本の詩誌である。山中散生の編集のもとで刊行され、1930年6月までに全9号が発行された。創刊号から第2号までは映画を中心とするモダニズム雑誌であったが、第3号以降はシュルレアリスム雑誌に転じ、名古屋で最初のシュルレアリスム雑誌とされる[1]。1929年2月から1930年6月まで全9冊が刊行された[2]。
刊行経緯
『Ciné』は、詩誌『青騎士』終刊後の1929年2月に、山中散生編集、渡辺喜雄発行によって創刊された[1]。 創刊号と第2号は映画中心のモダニズム雑誌であったが、第3号からは山中単独の編集発行となり、シュルレアリスム雑誌へ転じた[1]。 同誌は1930年6月の第9号までほぼ隔月で刊行され、山中の上京により終刊した[1]。
内容と執筆陣
同人には、山中のほか、橋本義郎、井口正夫、亀山巌、西脇得三郎、折戸彫夫ら名古屋の詩人が参加した[1]。また、稲垣足穂、春山行夫、北園克衛、上田敏雄、上田保、富士原清一、瀧口修造、阪本越郎らが寄稿した[1]。第3号ではアンドレ・ブルトン/フィリップ・スーポーの『磁場』が訳載され、最終号の第9号ではポール・エリュアール『苦悩の都』の抄訳が掲載された。[1] 北園克衛は第7号から表紙装幀を担当した[1]。『Ciné』は、『薔薇・魔術・学説』や『衣裳の太陽』などと並んで、名古屋において意欲的にシュルレアリスム詩を訳出・紹介した雑誌であり、日本のシュルレアリスム詩運動においても重要な雑誌の一つとされる[1]。
位置づけ
名古屋市の山中散生紹介でも、山中は1929年に『Ciné』を主宰し、同人には亀山巌、稲垣足穂、北園克衛、瀧口修造、春山行夫らがいたとされている[3]。ダリ財団の解説でも、山中は『Ciné』やのちの『みづゑ』を通じてダダイスムとシュルレアリスムを積極的に紹介し、エリュアールやブルトンとの交流を広げたとされている[4]。
受容
2001年の山本悍右年譜では、山本悍右は1930年に詩作を始め、『詩と詩論』と『CINÉ』を通じて山中散生、亀山巌、春山行夫らを知り、モダニズムの詩と絵画に関心を深めたとされる[5]。同図録の本文でも、山本は『詩と詩論』と『CINÉ』を通じてモダニズム芸術への興味を開かれていったと記されている[2]。また、名古屋市の山本悍右紹介では、山本は1938年に山中散生、江間章子、北園克衛、村野四郎らと『夜の噴水』を編集したとされている[6]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i 『日本のシュールレアリスム : 1925~1945』日本のシュールレアリスム展実行委員会、1990年、26頁。
- ^ a b 金子, 隆一 著「山本悍右の位置-日本近代写真を読み換えるために-」、山本俶生、稲田威郎、田中晴子 編『写真展 シュルレアリスト 山本悍右 不可能の伝達者』監修: ジョン・ソルト、金子隆一、東京ステーションギャラリー、2001年、10頁。
- ^ “Webなごやゆかりの歌人・詩人 令和7年度基準 3. 山中散生(やまなかちるう)” (PDF). 名古屋市. 2026年4月5日閲覧。
- ^ “The Dalí Foundation purchases Paul Éluard poetry collection in Japanese” (英語). Fundació Gala-Salvador Dalí (2015年5月28日). 2026年4月5日閲覧。
- ^ 山本俶生、稲田威郎、田中晴子 編「山本悍右 年譜」『写真展 シュルレアリスト 山本悍右 不可能の伝達者』監修: ジョン・ソルト、金子隆一、東京ステーションギャラリー、2001年、198頁。
- ^ “Webなごやゆかりの歌人・詩人 令和7年度基準 4. 山本悍右(やまもとかんすけ)” (PDF). 名古屋市. 2026年4月5日閲覧。
関連項目
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