鹿児島県立鶴丸高等学校とは? わかりやすく解説

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鹿児島県立鶴丸高等学校

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 05:42 UTC 版)

鹿児島県立鶴丸高等学校(かごしまけんりつ つるまるこうとうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市薬師にある県立高等学校。校名は島津氏の居城鹿児島城の愛称「鶴丸」に由来。


  1. ^ これは近年の同校発行「学校要覧」よりの引用文であるが、「学校要覧」のみならず、入学式や創立記念式典の校長式辞などでもよく用いられる表現である。しかしながら一方では、1996年に同校百年史編修委員会が編集・発行した『創立百年』の「序章」においては、「本県における中学校設立は山口・九州各県で最後となっているが、女学校は熊本、佐賀、沖縄より早く設置されている。ただ女学校は別として中学校はこれまで見てきたように明治二十七年四月の同校前身である県立尋常中学校の設立が、本県中学校における全く最初のものではないので実質的には最後であったというわけではない。」と述べている。
  2. ^ 造士館と同校、および甲南高校の関係性について、前掲の『創立百年』は、次の如く指摘している。「四月、前年末の県議会などでも話題になっていた分校の独立が実現した。そこで同校は鹿児島県立第一鹿児島中学校と称することになり、分校は鹿児島県立第二鹿児島中学校と称したのである。その開校式は五月十三日に行われたが、その式辞で校長事務取扱沢田事務官の挨拶に『この學校は明治二十九年十二月二十五日新設され縣立中學造士館と称したものが明治三十四年四月三十日に廃され、その五月一日に縣立第一中學校分校として開校し、それが同年九月二日鹿兒嶋縣立鹿兒嶋中學校分校と改稱し三十五年五月二十九日にこの地に校舎新たになり』とその歴史を説いている。明らかに中学造士館から説きおこしている。そうなると現県立甲南高等学校の歴史は、この分校独立からということにはならないのではあるまいか。」このことについては、造士館#廃藩置県以後および中学造士館も参照のこと。
  3. ^ 当時は既に明治17年設立の「鹿児島県立中学造士館(→官立鹿児島高等中学造士館→鹿児島県尋常中学造士館)」が存在し、これが本県旧制中学校(中等教育)課程を担っており、同校前身の県尋常中学校とは館馬場(やかたんばば、現在の国道10号線)を隔てて並立・対抗していた(『鹿児島県教育史 下巻』『創立百年』)。
  4. ^ 「高校グラフィティー」『読売新聞』 2006年10月9日朝刊。
  5. ^ 尋常中学造士館の規模維持のため
  6. ^ 鹿児島県中学造士館収容のために鹿児島県第一中学校分校が新設されたが、当時の規定で分校には第3学年までしか設置できなかったため
  7. ^ 鹿兒島縣立鹿兒島中學校改稱認可(明治三十九年文部省告示第十八号、 原文
  8. ^ 鹿兒島縣立高等女學校設置開校認可(明治三十四年文部省告示第百十九号、 原文
  9. ^ 鹿兒島縣立高等女學校改稱認可(明治四十三年文部省告示第七十一号、 原文
  10. ^ 後の鹿児島玉龍高等学校鹿児島商業高等学校鹿児島女子高等学校
  11. ^ 同級生交歓 鹿児島県立鶴丸高校 - 文藝春秋WEB






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