TA32_(水雷艇)とは? わかりやすく解説

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TA32 (水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 18:13 UTC 版)

TA32ドイツ海軍水雷艇。元はイタリア海軍の「プレムダ」(旧ユーゴスラビア海軍駆逐艦「ドゥブロヴニク」)。

艦歴

イタリアの降伏により、1943年9月9日(8日[1])にジェノバでドイツが捕獲[2]。「TA32」となった[3]

当初はドイツは「TA32」を夜間戦闘機指揮艦としようとし[4]フライヤウルツブルグレーダーに105㎜単装砲3基搭載とされることとなった[2]。しかし、艦艇不足からこの計画は取りやめとなって両レーダーの搭載はなくなり、105㎜砲4門、魚雷発射管3門などの兵装で1944年8月18日(または7月21日[5])に就役した[2]。「TA32」は第10水雷群 (10. Torpedobootsflottille[2]) に所属した[4]

「TA32」は5度の機雷敷設と1度の陸上砲撃を行った[6]

1944年8月30、31日夜、ジェノヴァから出撃して「TA24」、「TA29」とともにアルノ川河口付近への艦砲射撃を実施[5]

1944年10月1日夕方、「TA32」は「TA24」、「TA29」と共にジェノヴァを出撃して機雷敷設に向かった[7]。だが、その途中でアメリカの駆逐艦「グリーヴス」の攻撃を受けた[8]。戦闘中に「TA29」と「TA24」が衝突して損傷したが、「TA32」は損害は受けず、3隻はジェノヴァへ引き返した[9]

1945年3月17日、「TA32」はジェノヴァを出撃してコルシカ島の北に機雷を敷設した[10]。18日、他の場所で機雷を敷設した「TA24」、「TA29」と共に帰投中イギリスの駆逐艦「ミーティア」と「ルックアウト」に攻撃されて「TA24」とTA29は撃沈され、「TA32」も損傷した[11]

1945年4月24日、ジェノヴァで自沈した[12]

要目

脚注

  1. ^ 『第二次大戦駆逐艦総覧』186ページ
  2. ^ a b c d "From Glasgow to Genoa under Three Flags", p. 87
  3. ^ Warships of the Royal Yugoslav Navy 1918-1945, p. 50
  4. ^ a b 『第二次大戦駆逐艦総覧』80ページ
  5. ^ a b "German TA Torpedo Boat at War", p. 138
  6. ^ "German TA Torpedo Boat at War", p. 133
  7. ^ The German Fleet at War, 1939-1945, p. 242
  8. ^ The German Fleet at War, 1939-1945, p. 243
  9. ^ The German Fleet at War, 1939-1945, pp. 243-244
  10. ^ The German Fleet at War, 1939-1945, p. 245
  11. ^ The German Fleet at War, 1939-1945, pp. 245-246
  12. ^ "German TA Torpedo Boat at War", p. 148

参考文献




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