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斎藤朝信

(Saitō Tomonobu から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:59 UTC 版)

斎藤 朝信(さいとう とものぶ、大永7年(1527年)? - 文禄元年(1592年[1])?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将越後上杉氏の家臣。赤田城主。斎藤定信の子。子に乗松丸(斎藤景信)。下野守を称す。武勇の誉れ高く、「越後の鍾馗」と呼ばれたという。


  1. ^ 没年は天正年間とも。
  2. ^ 丸島和洋「武田氏の外交における取次」(『武田氏研究』11号、)
  3. ^ 天正6年(1578年)6月24日付斎藤朝信宛武田勝頼書状『斎藤文書』
  4. ^ 中村晃『謙信軍記・上杉二十五将』(勉誠社、1994年)『上杉将士書上』を収録.


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