リチャード・エリオット (外交官)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > リチャード・エリオット (外交官)の意味・解説 

リチャード・エリオット (外交官)

(Richard Eliot から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 04:05 UTC 版)

リチャード・エリオット英語: Richard Eliot1694年10月28日洗礼 – 1748年11月19日)は、グレートブリテン王国の外交官、政治家。1733年から1748年まで庶民院議員を務めた[1][2]

生涯

海軍軍人ウィリアム・エリオット(William Eliot、1694年7月2日以降没、ニコラス・エリオットの息子)と妻アン(Anne、旧姓ウィリアムズ(Williams)、1723年4月11日没、ローレンス・ウィリアムズの娘)の息子として生まれ、1694年10月28日にセント・ジャーマンズ英語版で洗礼を受けた[1]。兄に庶民院議員エドワード・エリオットがいる[1]。1712年7月15日にオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学、1716年にM.A.の学位を修得した[3]

1719年に在スウェーデンイギリス大使館の秘書官(年収200ポンド)に任命された[2]。1722年9月18日に兄エドワードが死去すると[1]、その息子でわずか4歳のジェームズ・エリオット(1718年ごろ – 1742年11月24日)に代わって領地を管理、懐中選挙区であるセント・ジャーマンズ選挙区英語版の管理も行った[2]。1742年にジェームズが死去するとポート・エリオット英語版の領地を継承した[1][2]。官職では1722年より内国消費税徴税官(commissioner of excise)を務め、1729年5月に退任した後は1730年1月から1738年までコーンウォール公領測量長官(surveyor general of the Duchy of Cornwall)を、1738年3月から1748年11月までコーンウォール公領歳入長官(receiver general of the Duchy of Cornwall)を務めた[2]

1733年1月、セント・ジャーマンズ選挙区の補欠選挙に当選して庶民院議員に就任した[4]1734年イギリス総選挙リスカード選挙区英語版に鞍替えして再選、1741年イギリス総選挙でもリスカード選挙区で再選した後[5]1747年イギリス総選挙ではセント・ジャーマンズ選挙区で当選した[4]。議会でははじめ与党に属し、1733年に物品税法案英語版に賛成票を投じ、1734年に七年議会法英語版廃止法案に反対票を投じたが、1738年にウェールズ公フレデリック・ルイスとともに野党に転じ、1739年にパルド協定英語版に反対票を投じた[2]。1742年に首相ロバート・ウォルポールが辞任した後は与党に転じたが、1747年に再びウェールズ公とともに野党に転じた[2]

1748年11月19日に死去、12月3日にセント・ジャーマンズで埋葬された[1]。長男エドワードが遺産を継承した[6]。死去時点で財政難であり、妻ハリオットはその理由をコーンウォール公領の官職での支出に帰した[2]

家族

エリオット一家の肖像画。ジョシュア・レノルズの絵画に基づくメゾチント

1726年3月4日、ハリオット・クラッグス(Harriot Craggs、1713年2月 – 1769年2月1日埋葬、南部担当国務大臣ジェームズ・クラッグスの庶出の娘)と結婚、3男6女をもうけた[1]

  • エドワード(1727年7月8日 – 1804年2月17日) - 初代エリオット男爵[1]
  • アン(1729年11月17日 ポート・エリオット英語版 – 1816年2月と4月の間) - 1751年11月29日、ヒュー・ボンフォイ英語版(1762年3月12日没)と結婚、子供あり[1]
  • ハリオット(1731年12月15日 – 1776年1月27日埋葬) - 1753年4月3日、ペンドック・ニール(Pendock Neale、1768年11月と1773年3月の間に没)と結婚[1]
  • リチャード(1733年7月16日 セント・ジャーマンズ英語版 – 1747年4月28日 キンセール英語版) - 1744年よりジョン・ハミルトン閣下英語版が艦長を務める戦列艦オーガスタ英語版に乗船しており、海軍軍人となる予定だったが、1747年にキンセール英語版で死去した[7]
  • ヘスター(1735年3月11日 – 1736年4月12日[1]
  • オーガスタ(1737年6月10日 – 1737年11月27日埋葬 セント・ジャーマンズ[1]
  • エリザベス(1739年5月3日 セント・ジャーマンズ – 1771年8月1日) - 1759年8月8日、チャールズ・コックス英語版(後の初代サマーズ男爵)と結婚、子供あり[1]
  • ジョン(1741年7月12日 – 1769年6月12日 西フロリダ) - 海軍軍人、西フロリダ総督[1]
  • キャサリン(Catharine、1743年10月29日 ポート・エリオット – 1798年8月3日埋葬 セント・ジャーマンズ[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 126–129.
  2. ^ a b c d e f g h Cruickshanks, Eveline (1970). "ELIOT, Richard (1694-1748), of St. Giles-in-the-Fields, Mdx.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月25日閲覧
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Eade-Eyton". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 440–479.
  4. ^ a b Cruickshanks, Eveline (1970). "St. Germans". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月25日閲覧
  5. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Liskeard". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月25日閲覧
  6. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "ELIOT, Edward (1727-1804), of Port Eliot, nr. St. Germans, Cornw.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月25日閲覧
  7. ^ Rea, Robert R. (April 1979). "The Naval Career of John Eliot, Governor of West Florida". The Florida Historical Quarterly (英語). Florida Historical Society. 57 (4): 452. JSTOR 30151007

外部リンク

グレートブリテン議会英語版
先代
サー・ギルバート・ヒースコート準男爵英語版
シドニー・ゴドルフィン英語版
庶民院議員(セント・ジャーマンズ選挙区英語版選出)
1733年 – 1734年
同職:サー・ギルバート・ヒースコート準男爵英語版 1733年
ダドリー・ライダー英語版 1733年 – 1734年
次代
ボルティモア男爵英語版
チャールズ・モンタギュー英語版
先代
トマス・クラッターバック英語版
ジョン・コープ英語版
庶民院議員(リスカード選挙区英語版選出)
1734年1747年
同職:ジョン・デニス 1734年 – 1740年
チャールズ・トレローニー 1740年 – 1741年
次代
ジョージ・リー英語版
チャールズ・トレローニー
先代
ジョン・ハインド・コットン英語版
ジェームズ・ニューシャム
庶民院議員(セント・ジャーマンズ選挙区英語版選出)
1747年 – 1748年
同職:トマス・ポッター英語版
次代
エドワード・エリオット
トマス・ポッター英語版



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  リチャード・エリオット (外交官)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リチャード・エリオット (外交官)」の関連用語

リチャード・エリオット (外交官)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リチャード・エリオット (外交官)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリチャード・エリオット (外交官) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS