ピエール=アントワーヌ・ボードワンとは? わかりやすく解説

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ピエール=アントワーヌ・ボードワン

(Pierre-Antoine Baudouin から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 08:00 UTC 版)

ピエール=アントワーヌ・ボードワン(Pierre-Antoine Baudouin, 1723年10月17日 パリ1769年12月15日 パリ)は、フランス画家。父は無名の版画家だった。フランソワ・ブーシェの弟子。1758年に師の次女と結婚し女婿となった[1]


  1. ^ 同年には同じくブーシェの弟子だった画家ジャン=バティスト・デエがブーシェの長女と結婚している。
  2. ^ ボードワン《アレオパゴス会議において不信心のために告発されるフリュネー》 46.4x38.2cm、1763年、パリ、ルーヴル美術館。フランス国立美術館連合公式サイトに作品の画像と情報が掲載されている。:<http://www.photo.rmn.fr/cf/htm/CPicZ.aspx?E=2C6NU0V6TP1G>
  3. ^ とりわけ家具の細部にボードワンの表現上の注意が向けられていることが指摘されている(The age of Watteau Chardin and Fragonard, exh. cat., ed. C. B. Balley, Otawa-Washington-Berlin, 1984–1985, p. 240.)。
  4. ^ 『エミール』(1762年)が禁書となり、著者に対し逮捕命令が下されたことでスイスのイヴェルドンに逃れたジャン=ジャック・ルソーの自己弁護の書『ボーモンへの手紙』(1763年)はこの大司教に宛てたもの。
  5. ^ « Greuze s'est fait peintre, prédicateur des bonnes mœurs; Baudouin, peintre, prédicateurs des mauvaises. Greuze, peintre de famille et d'honnêtes gens ; Baudouin, peintre des petites-maisons et des libertins. » Œuvres de Denis Diderot, Salons, t. I, Paris, 1821, p. 235.
  6. ^ ニコラ・ポンスがボードワンの原画に基づいて制作した版画については次のサイトを参照。<http://www.artheque.net/ponce_nicolas.html>
  7. ^ ニコラ・ポンス《夜の駆け落ち》銅版画、1780年。:<http://www.univ-montp3.fr/pictura/GenerateurNotice.php?numnotice=A3506>


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