マルクス・ヘルウィウス・ブラシオとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マルクス・ヘルウィウス・ブラシオの意味・解説 

マルクス・ヘルウィウス・ブラシオ

(Marcus Helvius Blasio から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/25 06:33 UTC 版)

マルクス・ヘルウィウス・ブラシオ(Marcus Helvius Blasio)は共和政ローマプレブス(平民)出身の政治家・軍人。紀元前198年平民按察官(プレブス・アエディリス)、紀元前197年紀元前196年には法務官(プラエトル)を務めた。

経歴

紀元前197年、ブラシオは属州となったばかりのヒスパニア・ウルテリオル(遠ヒスパニア)の属州総督として赴任した。紀元前196年に属州総督職は後任者に引き継いだが、病を得てしまいヒスパニアにさらに1年以上滞在せざるを得なくなった。当時ヒスパニア・ウルテリオルでは17の都市を支配するクルカスとルキシニオを指導者として反乱が発生しており[1]、カルモ(en)、バルド、マラカ、ベトゥリアと言った都市が包囲されていた[2]

紀元前195年、ブラシオはようやくローマに帰還することとなり、属州総督アッピウス・クラウディウス・ネロは6,000の護衛をつけた。途中ブラシオの一行はヒスパニア・キテリオル(近ヒスパニア)のイリトゥルギス(en)近郊で20,000とされるケルティベリア軍に攻撃された。しかしローマ軍はこれを撃退し、敵軍12,000を殺害した[3]。イリトゥルギスはローマ軍に占領された。ローマに戻ったブラシオは元老院から小凱旋式の実施を認められた。ヒスパニアの反乱は後任の属州総督が鎮圧した[4]。紀元前194年、アプリアの新たな植民都市シポントゥム(en)の建設責任者に選ばれている。

脚注

  1. ^ アッピアノス『ローマ史』39-4. Iberia .
  2. ^ ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、XXXIII, 21
  3. ^ Brennan, p. 166.
  4. ^ ティトゥス・リウィウスローマ建国史』、XXXIV, 10, 1-7.

参考資料

古代の資料

研究書

  • Brennan, Corey Loog (2000). The praetorship in the Roman Republic Vol.I. Oxford University Press. ISBN 0-19-511459-0.
  • Malcovati, H. (1955). Oratorum romanorum fragmenta liberae rei publicae (em inglês). Turin: Paravia
  • Martínez Gázquez, José (1992). La campaña de Catón en Hispania (em espanhol) 1974 ed. Barcelona: Universidad de Barcelona. Publicaciones y Ediciones. ISBN 84-7875-980-8

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マルクス・ヘルウィウス・ブラシオ」の関連用語

マルクス・ヘルウィウス・ブラシオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マルクス・ヘルウィウス・ブラシオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマルクス・ヘルウィウス・ブラシオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS