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吉良親実

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/23 15:12 UTC 版)

吉良 親実(きら ちかざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。土佐国戦国大名長宗我部元親の弟で中村城主・吉良親貞の子。吉良城蓮池城[1]


注釈

  1. ^ 親実は「蓮池左京進」を名乗っており、元親は親実を「蓮池氏」として別家させて吉良氏を継がせる考えがなかった可能性もある。実際、元親・親貞の甥にあたる本山某(茂辰と元親の姉の間の次男)が親貞の養子として吉良弥五良貞俵と名乗り(「弥五良」は親貞が若い頃の通称)、貞俵が実兄親茂の戦死で本山氏に戻って本山内記茂慶として家督を継ぐと、今度は元親の実子である千熊丸を吉良氏に入嗣させようとしている[2]。なお、千熊丸こそが後に親実粛清の原因となる長宗我部盛親その人にあたる[3]
  2. ^ 久武との対立は大仏殿建立における木材伐採が原因であるという。
  3. ^ 一族だけではなく親友まで処罰の対象にされた。
  4. ^ 『長宗我部地検帳』のうち天正17年に作成された分から吉良氏の所領が既に他者に宛がわれた記載が確認できることから、親実が天正16年の段階では死を命じられなかったものの所領没収などの処分を受けた可能性が高い[4]
  5. ^ 久武親直自身はともかく、久武一族は親実没後に不幸が相次いだという。
  6. ^ 親実の墓より火が燃え出たり、親実の怨霊伝説から首の無い親実らの軍が大高坂に攻め寄せるなど。
  7. ^ 元親は怪異が続いたために家臣の意見を容れて吾川郡木塚に親実を祀ったという。
  8. ^ 親実の死に連座して殺された党類。

出典

  1. ^ https://kotobank.jp/word/-1071080
  2. ^ 天正18年の弘岡荒倉神社の棟札記載の「吉良千熊丸」
  3. ^ 朝倉慶景「戦国末期の国人本山茂辰とその家族たち」『土佐史談』232号、2006年。/所収:平井 2014
  4. ^ 吉村佐織「豊臣期土佐における女性の知行-『長宗我部地検帳』を中心に-」『海南史学』41号、2003年。/所収:平井 2014


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