キース・ダックワースとは? わかりやすく解説

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キース・ダックワース

(Keith Duckworth から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 03:55 UTC 版)

デビッド・キース・ダックワース(David Keith Duckworth[2]1933年8月10日[3] - 2005年12月18日)は、キース・ダックワース(Keith Duckworth)として知られる人物で、イギリスの自動車技術者、実業家である。レーシングエンジンビルダーのコスワースの共同創業者として知られる。


注釈

  1. ^ ダックワースの父親は1944年に死去。[7]。当時は戦時中で、戦争が終わったら織物では生活が立ち行かなくなると生前から言っており、この工作室は防空壕の中に作られた[6]
  2. ^ ヒルは後にドライバーとして知られることになる人物だが、当時はロータスでメカニックとして働きつつ、レースにドライバーとして散発的に参戦していた。ダックワースは、この時点ではロータスで将来フルタイムで働くことを考えていなかった[12]
  3. ^ ダックワースがロータスに入社したのは「1955年」という説があるが[15]、ダックワース本人とコスティンが「1957年」と述べているので[14][W 3]、ここでは1957年と記載している。卒業に際して、ダックワースは航空機エンジンメーカーのロールス・ロイスネイピア・アンド・サン(両社とも航空機エンジン部門)から採用オファーを得ており、ネイピアに入る考えに傾いていたのだが、どちらも「見習い」扱いという条件だったことが気に食わず、最初からエンジニア待遇で扱うとしたロータスに入ることにしたとダックワースは述べている[16][14]
  4. ^ F2では1957年から1959年にかけて使用されている[18]。F1では1958年に初参戦。
  5. ^ この機構は結局採用され、ダックワースの離脱後も、「クィアボックス」は1960年のロータス・18でも搭載された[20]。しかし、改良を加えても(ダックワースが危惧した通り)根本的な問題解決は果たせなかった。「クィアボックス」はチーム・ロータスが走らせた車両で使われ続けたが、カスタマーとしてロータス・18を使用していたロブ・ウォーカー・レーシングは信頼性の高いコロッティ英語版製ギアボックスに交換してしまった[21]。このロブ・ウォーカーの車両が(チーム・ロータスに先んじて)ロータスにとってのF1初優勝を達成したことはよく知られている(1960年モナコグランプリ)。
  6. ^ コスワースが市販車のフォード・コルティナGT(1963年発売)のエンジンチューニングを手掛けたのもこの時期[27]
  7. ^ コスワースは翌年用の新エンジン(FVA)を準備中だったためこの年の開発に手を回せなかったという事情もある[28]
  8. ^ 1972年からF2の規定エンジン排気量が2リッターに引き上げられ、元々1.5リッターエンジンをベースとするFVAエンジンでは無理があり、加えて、その頃はコスワースはF1に集中していたという事情による[29]
  9. ^ この額は、フォードがスポンサーとして支払った金額としてこの時点で史上最高額だったことで知られる[W 2]
  10. ^ 1970年代になってもダックワースは基本的に自宅で設計をしており、コスワースの人員は図面を受け取りに行く必要があった[32]
  11. ^ この年のF1は、開幕戦は1月1日の開催で、第2戦のモナコGPは5月に開催されるという日程だった[33]。DFVエンジンとロータス・49をデビューさせるにあたり、市街地サーキットのモナコはデビュー戦として適していなかったため、6月のオランダGPをデビュー戦とすることを、ダックワースとチャップマンはかなり早い段階で決めていた[33]
  12. ^ これは創業2年目の1959年、破産寸前の状況に窮しつつ、フォーミュラ・ジュニア用エンジンを開発していた時に得た教訓[37]カムシャフトの製作に苦戦し、バルブサージングの問題を解決できなかった時期、専門書に当たっても解決方法は存在しなかったことから、誰にとっても未知の事柄について、役に立たない本を読んで迷わされるより、自分自身で解決方法を考えることが先決だと考えた[37]

出典

  1. ^ a b c d e Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.11
  2. ^ a b c d e f Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.13
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Oxford Dictionary of National Biography 2005-2008(2013)、「Duckworth, (David) Keith (1933-2005)」 pp.333–334
  4. ^ a b c d e f g h i j k オートスポーツ 1973年4/15号(No.116)、「コスワース物語 チャップマン学校の卒業生M.コスティンとK.ダックワース」(神田重巳) pp.58–59
  5. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.11
  6. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.14
  7. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.12
  8. ^ a b c d コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.19
  9. ^ a b c Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.16
  10. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.21
  11. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.24
  12. ^ a b Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.20
  13. ^ a b c d Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.23
  14. ^ a b c d Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.21
  15. ^ a b GP Car Story Vol.38 Stewart SF3、「F1でのフォードの評判を高めたコスティンとダックワース」 pp.94–97
  16. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.25
  17. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.27
  18. ^ a b c 世界の自動車17 ロータス(神田1972)、p.46
  19. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.29
  20. ^ 歴史に残るレーシングカー(ナイ/高齋1991)、「1960年 ロータス-クライマックス・タイプ18」 pp.186–189中のp.186
  21. ^ 歴史に残るレーシングカー(ナイ/高齋1991)、「1960年 ロータス-クライマックス・タイプ18」 pp.186–189中のp.188
  22. ^ Cosworth: The Search for Power - 6th Edition(Robson 2017)、p.25
  23. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.31
  24. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、「キース・ダックワースの公式上の経歴」 p.13
  25. ^ a b c オートスポーツ 1971年12/15号(No.83)、「完璧な設計思想が勝利の決め手──コスワース・エンジニアリング──」(三村健治) pp.81–83
  26. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.37
  27. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.45
  28. ^ a b オートスポーツ 1969年4月号(No.47)、「コスワース物語」(折口透) pp.116–119
  29. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.72
  30. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.63
  31. ^ a b オートスポーツ 1973年4/15号(No.116)、「独占公開!!コスワース・エンジンの全資料 <その1> FVC/BDE/BDF/EA編」(神田重巳) pp.57–65
  32. ^ a b c d e f g RacingOn No.446 コスワース、「DFVの成功は約束されていた」(ディック・スキャメル インタビュー) pp.24–30
  33. ^ a b GP Car Story Special Edition Lotus、「チャップマンが気づかなかったこと」(ピーター・ウィンザー) pp.62–65
  34. ^ a b c d e f RacingOn No.446 コスワース、「DFV 155勝の軌跡」(小倉茂徳) pp.42–54中のp.52
  35. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.52
  36. ^ RacingOn No.446 コスワース、「DFV 155勝の軌跡」(小倉茂徳) pp.42–54中のp.50
  37. ^ a b コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.40
  38. ^ コスワース・パワーの追求(ロブソン/松下1995)、p.33
  1. ^ a b c d e f Nancy Knapp Schilke (2005年12月20日). “CHAMPCAR/CART: The passing of Keith Duckworth” (英語). Motorsport.com. 2023年8月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Keith Duckworth” (英語). Telegraph (2005年12月22日). 2023年8月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Simon Taylor (2012年2月). “Lunch with Mike Costin” (英語). Motor Sport Magazine. 2023年8月27日閲覧。
  4. ^ a b Gazoo編集部、webCG (2015年4月3日). “【技術革新の足跡】フォード・コスワースDFV――F1最多勝の汎用エンジン(1967年)”. GAZOO.com. 2023年8月27日閲覧。


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