フェレンツィ・カーロイとは? わかりやすく解説

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フェレンツィ・カーロイ

(Károly Ferenczy から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 00:13 UTC 版)

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この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、インド・ヨーロッパ語族風にカーロイ・フェレンツィと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名
フェレンツィ・カーロイ
Ferenczy Károly
自画像(1900年)
生誕 1862年2月8日
オーストリア,ウィーン
死没 1917年3月18日
ハンガリー,ブダペスト

フェレンツィ・カーロイ(Ferenczy Károly、ドイツ語名:Carl Freund、 1862年2月8日 - 1917年3月18日)はウィーン生まれのハンガリーの画家である。ハンガリーにおける印象派の画家の一人である。

略歴

ウィーンで鉄道建設技術者、カレル・フロイント(Karel Freund)の息子に生まれた。父親は鉄道会社とともにブダペストに移ってその功績から、貴族に叙せられ、その時、名前をハンガリー風の、フェレンツィに改めた。

フェレンツィ・カーロイはハンガリーのショプロンの学校を卒業した後、法律を学ぶためにウィーンに移ったが、1884年に結婚することになる14歳年上の従姉の画家、オルガ・フィアルカ(Olga Fialka:1848-1930) に勧められて美術に転じ、1885年にナポリ美術アカデミーに入学した。翌年ミュンヘンに移り、ミュンヘンではホローシ・シモン(Hollósy Simon:1857-1918)やチョーク・イシュトヴァーン(Csók István: 1865-1961)といったハンガリー出身の画家たちと知り合った。1887年から1889年の間はパリアカデミー・ジュリアンで学んだ。フランスの自然主義の画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの作品から大きい影響を受けた[1]

しばらく多くの芸術家が活動していたハンガリーのセンテンドレで活動した後、1893年に再びミュンヘンに移り、ホローシ・シモンらのグループに加わり、1896年にはホローシ・シモンと現在のルーマニアのバヤ・マレに移って活動した。

1900年にブダペストでの展覧会で評価を高め、ハンガリー美術アカデミーの教授に任じられ、ブダペストで活動し、夏はバヤ・マレで過ごした。1904年に美術家グループ「MIÉNK」(Magyar Impresszionisták és Naturalisták Köre:ハンガリー印象主義・自然主義サークル)の創立メンバーになった[2]

作品

脚注

  1. ^ Ferenczy, Karl (PDF; 188 kB), im Österreichischen Biographischen Lexikon 1815–1950, abgerufen am 9. April 2012.
  2. ^ Eine Schau der Werke von Károly Ferenczy[リンク切れ], Budapester Zeitung, 20. Dezember 2011.

参考文献

  • Ferenczy Valér: Ferenczy Károly. Budapest 1925
  • Károly Lyka: Ferenczy, Károly (Karl). In: Ulrich Thieme (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 11: Erman–Fiorenzo. E. A. Seemann, Leipzig 1915, S. 400 (Textarchiv – Internet Archive).
  • Ferenczy Karl. In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 1, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 1957, S. 302.
  • István Genthon: Die Familie Ferenczy. Ausstellung im Burgschloss Buda. Magyar Nemzeti Galéria, Budapest 1968
  • Judit Szabadi: Jugendstil in Ungarn, Corvina, Budapest 1982
  • László Beke: 80 Jahre ungarische Malerei von der Romantik bis zum Surrealismus, Kunsthalle Mannheim, 1989
  • Gy. Szücs: Ferenczy, Károly. In: Allgemeines Künstlerlexikon. Die Bildenden Künstler aller Zeiten und Völker (AKL). Band 38, Saur, München u. a. 2003, ISBN 3-598-22778-7, S. 244–246.



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